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小松-上海便が週3便となり、県内企業にとっては中国とのビジネスチャンスがより拡大した。
中国の可能性に魅せられた企業トップに話を聞いた。
金田鉄工所は今年9月、中国・蘇州市の経済開発特別区で、板金溶接、機械加工を主に手がける新工場を稼働させる。中国に進出している日系メーカーなどに対して拡販を図り、5年後をめどに年間売上高1億人民元(※)を見込む。
新工場は、一昨年に同社が独資で設立した蘇州新金田機電技術有限公司の製造拠点となる。敷地面積は約33,000平方メートル、建築面積は約8,000平方メートル。各種製造機械のほか、将来のOEM生産を見すえて、空調を効かせた環境下で組立作業が行えるよう配慮した。当初は20人体制でスタートする。
同社が中国との交流をスタートさせたのは昭和59年にさかのぼる。県鉄工機電協会の日中経済交流事業の一環として、蘇州市の企業を視察したのが始まりだ。翌々年には技術研修生を受け入れ、金型やプレス加工の技術を手取り足取り教えた。「当時はビジネスパートナーとしてはまったく意識していなかった」と金田喜至社長は振り返り、あくまでもボランティア精神で技術交流に取り組んだという。
同社がビジネスの側面から中国とかかわりはじめたのは平成8年のこと。電話交換機などを製造していた蘇州有線電一廠から、「当公司の加工部門を分離し、御社と合弁企業を設立したい」ともちかけられたのだ。
金田社長は「技術よりも市場ありき」、つまりどんなに優れた技術でも売れなければ価値がないと考える先方の経営者の価値観に共感し、合弁に踏み切った。
金田鉄工所が55%、蘇州有線電一廠が45%を出資した蘇州金田機電部品有限公司は、設立後、日本への輸入は視野に入れず、中国市場の開拓に専念。取引先は40数社を数え、年商は4,000万人民元を狙えるところまできた。
経営は安定していたが、一方で、金田社長はジレンマも抱えていた。合弁会社には国営企業時代の社員も多く、社内のドラスティックな意識改革が難しかった。そこで、合弁企業が安定しているうちに独資企業を別に立ち上げ、新たな市場に対応したいと考えたのだ。
新工場では、「規模は追求せず、少数精鋭でいく。チャンスがあれば自社製品にも挑戦したい」と金田社長はビジョンを明かす。
金田社長にとって中国への進出は、自分たちが長年積み上げてきた技術を必要とされていることが最大の理由だった。しかし、今では様相が変わり、中国でビジネスを展開する醍醐味は、何と言っても世界中の企業が集中する巨大市場にある。「チャンスをものにするためには、社員全員が顧客の心をつかむために、一丸となれることが絶対条件となる」(金田社長)という確信のもと、金田鉄工所の中国ビジネスは新たな展開を迎えようとしている。
企業名 | 株式会社 金田鉄工所 |
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創業・設立 | 設立 昭和37年9月 |
事業内容 | 金属プレス加工 |
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備考 | 情報誌「ISICO」vol.28より抜粋 |
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掲載号 | vol.28 |