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事業承継セミナー:企業の存続にはしなやかな変化が必要 早めに専門機関に相談を

印刷ページ表示 更新日:2020年12月24日更新

基調講演 江戸時代から続く、家業の事業譲渡
講師 岡田 高幸 氏 直鞍ビジネス支援センターN-biz センター長/社会保険労務士​​​

ISICOは11月6日、県地場産業振興センターで「事業承継セミナー」を開催しました。江戸時代から続く和食器販売の老舗「たち吉」を投資ファンドに譲渡した創業家出身の最後の経営者、岡田高幸氏が講演したほか、県内3社の女性経営者がパネルディスカッションで事業を引き継いだ経験談を話しました。その内容をダイジェストで紹介します。​

社長交代が支援の条件

講師を務めた岡田高幸氏の写真 たち吉は平たく言えば京都の茶碗屋です。創業は1752年にさかのぼります。飛躍したきっかけは戦後、法人化して全国の百貨店に売り場を持ったことでした。しかし、その百貨店の売り上げが1991年をピークに不振に陥ると、たち吉の業績も悪化の一途をたどりました。その後、7回にわたって早期退職者を募り、そのたびに割増退職金の原資を金融機関から借り入れたことも経営を圧迫しました。
 2001年に入社した私が、父に代わって社長に就いたのは2010年6月です。代替わりは金融機関の要望でした。父が社長のままでは支援の継続は難しいと金融機関から遠回しに意思表示されたのです。係長になって数カ月の私でしたが、断れば支援を打ち切られ、商売が続けられませんから、断るという選択肢はありませんでした。

計画未達で譲渡を決断

 金融機関からは支援の継続に向け、事業再生計画の策定を求められました。策定に当たっては金融機関が推薦するコンサルティング会社との協力が必須でした。数千万円の投資を余儀なくされましたが、このときは良い計画を作ることができませんでした。
 続いて2012年5月、地元の金融機関が紹介してくれたコンサルティング会社とともに再度、事業再生計画を策定しました。今度は計画自体はよかったものの売り上げが下げ止まらず、2014年3月期決算が計画未達の見通しとなった時点で、外部資金の導入を決断しました。
 当時のたち吉にとって最も重要だったのは、仕入れ先には1円の迷惑もかけないということでした。というのも、たち吉は自社で製造せず、全国各地のメーカーや窯元に作ってもらった品物を販売していたからです。社員はこれまで何度も早期退職者を募ってきた経緯を考慮し、優先順位を2番目にしました。

承継は第二会社方式で

 2014年1月から半年かけて、自主再建を諦めて外部資金を導入することを金融機関に説明し、内諾を得ました。7月からは地元の金融機関、仲介会社とともにスポンサー探しを始め、10月には国内投資ファンドに内定しました。11月に臨時取締役会で譲渡を決定後、翌年2 月に従業員向けの説明会を開き、3月末に事業承継を完了しました。承継は第二会社方式で進め、茶碗屋としての事業のみを投資ファンドにお渡しし、負債のある旧たち吉は特別精算しました。
 業績が悪いながらも譲渡できた理由としては、まず私個人と身内で2/3を超える株を所有していたことが挙げられます。金融機関や社員が最後まで支え続けてくれたことも大きな要因です。また、伝統的に財務管理がしっかりしており、これも信用につながりました。
 古いものにしがみつくのでなく、しなやかに変化し続けているからこそ、京都には良い会社が残っていると言われます。岡田家がたち吉を存続できなかったのは景気のいい時期にしなやかに変化できなかったからです。会社は変化し続けるのが当たり前です。皆さんも事業承継を考えているならば、ぜひ早めにISICOに相談してください。

セミナー風景全体写真セミナー講師陣の写真

亡夫に代わって会社を切り盛り
村木 峰子 氏 (株)ムラキ工業 代表取締役社長

村木峰子砕氷取締役社長の写真 前の経営者で創業者である夫ががんで亡くなったため、1998年に事業承継しました。夫が余命宣告を受けたのはその2、3年前です。M&Aも検討しましたが、「全社員の雇用を守るのが自分の責任だ。(たとえM&Aをしても)うちと同じ条件で働ける会社はない。借入金もあり、社員には任せられないのだから身内のお前がやるしかない」という夫の言葉で覚悟を決めました。経営に携わった経験はなかったので、存命の間は夫と伴走し、亡くなった後は金融機関や会計士、社労士のもとに足繁く通って経営に必要なことを教えてもらいました。社長としての夫の最後の仕事は、社員一人一人との面談でした。仕事や会社にかける思いをしっかりと受け止めた社員が頑張ってくれたおかげで、今日まで事業を継続してくることができました。事業承継を考えるならば早めに計画を立てることが大切です。私も現在、2年後の退任を見据え、娘婿にバトンを渡す予定で準備を進めています。

トップ営業から社長に抜擢
澤野 恵 氏 (株)ヤマダタッケン 代表取締役

澤野恵代表取締役の写真 私は2001年にヤマダタッケンに入社しました。住宅営業は未経験でしたが、トップの成績を上げるようになると事業運営に意見する機会が増え、2010年から常務を務め、2015年に創業者(現会長)に代わって代表に就任しました。創業者には息子がいて、いずれは彼に事業承継する予定です。ただ、現在26歳と若いため、創業者には「ワンクッション挟みたい」という意向がありました。大きな不安を感じずに引き受けることができたのは、これまで一緒に会社を作り上げてきた社員の後押しがあったからです。年齢や性別などがハードルになり、すぐに親族に承継できない場合は社員に一時任せるのも一つの手です。他の社員が会社に目を向けてくれるきっかけになるというメリットもあると思います。当社では今年から後継者教育をスタートしました。私も次にやりたいことがありますから、彼が成長し、全社員から信頼してもらえるようになった時点で退任しようと思っています。

シナジーを期待し上場企業とM&A
宮川 昌江 氏 (株)シーピーユー 相談役

宮川昌江相談役の写真 シーピーユーは私が36歳で創業し、もともとは死ぬまで社長を務めるつもりでした。しかし、大動脈解離を二度患って気が弱くなり、事業承継を考えるようになりました。M&Aを手がける東京の会社から話を持ちかけられたのは2013年頃のことです。上場企業を対象に探してもらい、最終的に10社と面談しました。その中から「当社のブランドをそのまま維持する」「社員・役員の待遇が現在を下回らない」といった条件を承諾してくれた3社に絞り、このうち2番目に高い金額を提示した協和エクシオに株式を譲渡しました。最高額を提示した企業でなく、協和エクシオを選んだのは当社と最もシナジーを見込めるからです。実は当初、取締役会で否決されたため、組織改革を進め、新役員に2年かけて説得いたしました。現在は以前から将来の後継者と見込んでいた社員が社長に就いています。今期は親会社の応援もあり、コロナ禍の中ではありますが過去最高益を上げ、大変うれしく思っています。

企業情報

企業名 公益財団法人 石川県産業創出支援機構
創業・設立 設立 1999年4月1日
事業内容 新産業創出のための総合的支援、産学・産業間のコーディネート機関

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関連情報

関連URL 情報誌ISICO vol.113
備考 情報誌「ISICO」vol.113より抜粋
添付ファイル
掲載号 vol.113


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