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小さなずんどうからしょうゆ造りを再開 「あばれ祭」に向けて工場再建を目指す ~高田醤油店

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One Step

令和6年能登半島地震で被災しながらも、試練を乗り越え、明日への一歩を踏み出した地元企業の奮闘ぶりを紹介します。​

顧客の声が原動力に

店主の高田清保さんの写真。 江戸時代に商いを始め、明治時代からしょうゆ造りを続けてきた高田醤油店は、能登半島地震で甚大な被害を受けた。激しい揺れにより貯蔵タンクの蛇口が破損し、しょうゆが勢いよく流れ出る中、店主の高田清保さんは「80代の母とすぐに津波から避難しなければならず、どうすることもできなかった」と当時を振り返る。
 失ったしょうゆは約5,000リットル。地元のスーパーや飲食店、加工業者に納品するために仕込んでいたものだった。店舗は無事だったものの、工場は全壊し「廃業も考えた」と高田さん。それでも、「食事が物足りない」「このしょうゆがないとうちの店の味が出せない」といった顧客の声に背中を押され、再建への一歩を踏み出した。
 震災から約2カ月後、店舗の一角で製造を再開した。最初に取り組んだのは、被害を免れた原液の加熱・殺菌だ。一度に1,000リットルを処理できる機械が使用できなくなったため、石油ストーブの上に30リットルのずんどう鍋を置き、手作業で行った。
 完成したしょうゆを1リットルのボトルに詰め、宇出津のスーパー3店舗に50本ずつ納品すると、たちまち売り切れた。その後も納品のたびに即完売し、「多くの人に愛されていることを実感した」と高田さんは語る。しょうゆを火入れするためのずんどう鍋の写真。
 ただ、少量生産では味の調整が難しく、「まろやかさ」に欠ける点が課題だった。一日も早く元の味を取り戻そうと、ずんどう鍋のそばに仮眠ベッドを置き、閉店から朝まで材料の配分を見直し、火入れの微調整を繰り返した。現在は100リットルのずんどう鍋2つでしょうゆを造り、生産量は震災前の6割程度にまで回復している。

事業承継へ準備を続ける

 高田醤油店では現在、事業承継の準備を進めている。母親から経営を引き継ぐため、2021年からISICOのアドバイスを受けてきた。震災の影響で延期になったが、「専門家に来てもらい、分かりにくい税制のことを丁寧に教えていただいた。引き続きISICOに相談しながら承継を完了させたい」と前向きだ。「うすくち」「こいくち」「甘露」の三種類のしょうゆの写真
 工場再建も進行中で、耐震性と断熱性を強化した木造建築を計画している。完成目標は、今年7月に開催予定の宇出津の夏祭り「あばれ祭」の時期。震災前、この祭りでは、初日にまちなかを巡回したみこしが、高田醤油店で一晩安置される伝統があった。高田さんは「ぜひ新しくなった店でおみこしを迎えたい」と力強く話す。

企業情報

企業名 高田醤油店
創業・設立 創業 江戸時代
事業内容 しょうゆ製造・販売

企業情報詳細の表示

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関連URL 情報誌ISICO vol.139
備考 情報誌「ISICO」vol.139より抜粋
添付ファイル
掲載号 vol.139


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