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令和6年能登半島地震で被災しながらも、試練を乗り越え、明日への一歩を踏み出した地元企業の奮闘ぶりを紹介します。
粟津屋は、餅菓子を中心に製造する和菓子店だ。よく伸びる餅に甘みを抑えた粒あんがぎっしりと詰まった「塩豆大福」など、質の高い商品を手頃な価格で届けることにこだわり、半世紀以上にわたって地域に親しまれてきた。
能登半島地震では、七尾港近くに構える工場が大きな揺れと液状化の影響を受け、建物に傾きやひび割れが生じたほか、水道管が損傷し、和菓子作りに欠かせない水が使えなくなった。
途方に暮れる粟津繁行社長と、取締役である妻の紀子さんを支えたのは、人との温かなつながりだった。紀子さんは「地震直後から近隣の方や取引先の皆さんが駆けつけ、土台からずれ落ちた機械を元の位置に戻すなど力を貸してくれた。本当にうれしかった」と振り返る。
水道管を引き直し、3月上旬には事業を再開したものの、あんを炊くためのボイラーや商品保管用の冷凍機は深刻な損傷を受け、いつ壊れてもおかしくない状況だった。そこで、国の小規模事業者持続化補助金を活用した買い換えを決断。申請にあたってはISICOに相談し、書類作成などの支援を受けた。
製造ラインは徐々に復旧したが、主な販路だったスーパーが被災し売り上げは激減。そうした苦境を乗り越えるきっかけとなったのが、金沢で開催された複数の復興支援イベントへの出店だった。「粟津屋の味を広く知ってもらえたのはもちろん、イベントのたびに顔を合わせる能登の事業者と励まし合える関係になれたのが収穫でした」と紀子さん。震災後に助けられ、励まされた経験を通じて、「自分たちも能登の力になりたい」との気持ちを強くしたという。
その思いを形にするため、2024年4月から1年をかけ、鵬学園高校調理科の生徒と共同で新商品開発に取り組んだ。地元の素材にこだわって試行錯誤の末に完成した焼きまんじゅうは、七尾の伝統行事である青柏祭をイメージし、皮には「でか山」の巡業を行う市内3町の紋をデザインした。
結婚を機に大阪から七尾に移り住んだ紀子さんは「最近、自分がこんなにも能登を好きだったのかと感じることが多い」とほほ笑む。能登の人々が笑顔で過ごす場に、粟津屋の和菓子がある…そんな情景を思い描きながら、地域に根差した和菓子作りを続けていく。
企業名 | 有限会社粟津屋 |
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創業・設立 | 創業 1967年 |
事業内容 | 和菓子製造業 |
関連URL | 情報誌ISICO vol.142 |
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備考 | 情報誌「ISICO」vol.142より抜粋 |
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掲載号 | vol.142 |