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令和6年能登半島地震で被災しながらも、試練を乗り越え、明日への一歩を踏み出した地元企業の奮闘ぶりを紹介します。
多間栄開堂は明治時代の創業以来、三代にわたり珠洲の人々の日常や冠婚葬祭に寄り添う和菓子を作り続けてきた。近年は、築約100年の店内にこたつのカフェスペースを設け、若い世代や外国人の観光客が古民家の風情を味わいに訪れる場となっていた。
住居も兼ねていたこの店舗は、能登半島地震で倒壊寸前の危険な状態となった。店主の多間俊夫さんと妻の淳子さんは先の見えない避難生活を強いられ、無力感に包まれたという。
再起のきっかけは、正月用に作っていた約800個の和菓子が、建物の中から奇跡的に無事な状態で見つかったことだ。1月4日に避難所の中学校で配ると、不自由な日々を送る人々の表情がほころんだ。「和菓子には人を笑顔にする力があると実感し、もう一度作りたいと思った瞬間だった」と淳子さんは振り返る。
再開に向けては、ISICOに相談しながら空き店舗やコンテナの活用を模索し、最終的には大工である俊夫さんのおいの力を借りて建て直すことを決意した。淳子さんは「紆余曲折あったが、ISICOの担当者にずっと寄り添ってもらったので不安はなかった」と話す。
再建資金を調達するため、県の補助金に加え、長男の一生さんのサポートを受けてクラウドファンディングを活用した。一生さんによる思いのこもった文章は多くの人の心を動かし、また、これまで縁のあった人への直接の声掛けも実を結び、わずか1カ月半で、目標の300万円を大きく上回る780万円が集まった。これにより、建築資材の高騰にも対応できたという。夫妻は「(募集期間中は)全国から毎日のように励ましのメッセージが届き、涙が出た」と声をそろえる。
営業再開にあたって最初に復活させたのは、珠洲の伝統的な菓子「太鼓饅頭(まんじゅう)」だった。卵をたっぷり使った生地であんを包んだ優しい味わいで、俊夫さんは「自分で言うのは気が引けるけれど…ものすごくおいしいよ」とにっこり。焼き印には、「すず」(珠洲)の文字と能登半島の形をあしらい、復興への願いを込めた。
そして、7月30日にオープンの日を迎えた。開店前から行列ができ、涙を流して開店を喜ぶ客の姿もあったという。淳子さんは「これからも和菓子を作り続けたい。夫も私も、そのときが一番いきいきしているから」と目を輝かせる。
企業名 | 多間栄開堂 |
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創業・設立 | 創業 1907年 |
事業内容 | 和菓子製造・販売 |
関連URL | 情報誌ISICO vol.143 |
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備考 | 情報誌「ISICO」vol.143より抜粋 |
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掲載号 | vol.143 |