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令和6年能登半島地震で被災しながらも、試練を乗り越え、明日への一歩を踏み出した地元企業の奮闘ぶりを紹介します。
能登町で、150年以上の歴史を紡いできた松波酒造。近年は金七(きんしち)政彦社長とその家族を中心に、和釜で酒米を蒸し、木製の槽(ふね)でもろみを搾るなど、伝統的な製法を守り続けてきた。
能登半島地震では、自宅を兼ねた酒蔵が全壊した。一家は近隣の中学校へ避難し、そこから先の見えない日々を過ごすことになった。
希望の光となったのは支援の手だった。NGO団体が、酒蔵から瓶詰め前の日本酒約2万リットルと商品約6,000本、酒米約3トンを救出した。このうち酒米は小松市の「加越」など複数の酒蔵に運び込まれ、共同醸造が始まった。
加越と共に昨年4月に完成させた日本酒は、「大江山GO」と名付けた。松波酒造の銘酒「大江山」に、「前へ進む」「ふるさと(郷ごう)」といった意味を込めて「GO」を加えたという。壊れた酒蔵のそばで開いた販売会では、用意した100本が瞬く間に完売した。長女で若女将(おかみ)の聖子さんは「1本、また1本と売れるたびに、家族の表情が明るくなっていった。新しい出発の日だった」と振り返る。
松波酒造は昨年夏ごろからISICOへの相談を始めた。専門家派遣を受けて再建計画を作っていく中で、一番の課題は拠点の確保だった。日本酒の製造や販売の免許は地番に紐付くため、酒蔵跡地に拠点を設けなければ本格的な再開は難しい。しかし、復旧工事に追われる能登では、工期が不透明で、工事費も高騰していた。
そこで選んだのが「トレーラーハウス」を店舗とする方法だった。自動車でけん引できる構造物のため、金沢で製作して現地へ運び込むことで工期・費用の問題を同時に解決できた。将来、酒蔵を本格的に再建することになった際、別の場所へ移動できる柔軟性も魅力だった。
資金は国や県の補助金を活用した。クラウドファンディングにも挑戦し、全国の日本酒ファンなどから約550万円の支援が寄せられ、今年9月のオープンにこぎ着けた。「多くの方々の温かな支援が原動力だった」と語る聖子さんが夢に描くのは、貯蔵や醸造の機能を取り戻し、さらには地域住民が集うスポットとすることだ。「能登の人々が『大江山』で杯を交わして打ち解けるように、この地も、人と人が心を通わすきっかけとなる場にしたい」と情熱を燃やす。
| 企業名 | 松波酒造 株式会社 |
|---|---|
| 創業・設立 | 創業 1868年 |
| 事業内容 | 日本酒の製造・販売 |
| 関連URL | 情報誌ISICO vol.144 |
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| 備考 | 情報誌「ISICO」vol.144より抜粋 |
| 添付ファイル | |
| 掲載号 | vol.144 |