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令和6年能登半島地震で被災しながらも、試練を乗り越え、明日への一歩を踏み出した地元企業の奮闘ぶりを紹介します。
医薬品や化粧品、接着剤など、私たちの身近な製品に使われる金属チューブ。一貫生産ができる国内5社のうち、「小ロット多品種」で存在感を発揮してきたのがトパテックだ。
その工場を、能登半島地震が襲った。支柱の鉄骨が折れ曲がり、天井の一部が崩落した。ベルトコンベアでつないでいた11台の産業機械はどれも定位置から大きくずれ、生産体制は完全に停止した。
変わり果てた工場を前に、涙を流す社員もいたという。兵庫秀彦社長は部下を励まし、まずは手作業でのがれき撤去に取りかかった。大阪営業所から連日、水や食料を輸送し、力仕事に明け暮れる社員には給与のほかに手当も支給した。「自身も被災して大変な状況にもかかわらず、力を尽くしてくれた仲間たちには感謝しかない」と兵庫社長は語る。
喫緊の課題となったのが、医薬品用チューブの納品対応だった。空気を清浄に保つクリーンルームが壊れ、出荷前の品質検査ができなくなったのだ。そこで富山県の取引企業にクリーンルームを借り、社員を派遣して検査を実施した。これにより、当面の供給責任を果たした。
競合他社の経営者からは、「生産を代わりに引き受ける」との申し出が相次いだ。兵庫社長は「本当にありがたく、素晴らしい業界で仕事をしていることを再認識した」と振り返る。
工場の被害総額は約2億円にのぼり、復旧には国や県の補助金が欠かせなかった。「申請手続きの複雑さに苦心したのが本音」という福井昌晴取締役は、ISICOに相談することにした。「どんな質問にも丁寧に対応してもらい、心強かった」と話す。
全社的な努力と支援の輪が広がり、被災からわずか半年後の6月には、24時間体制の生産を再開した。震災後のサプライチェーンの不安から、多くの取引先企業が在庫を積み増す中、その需要に的確に応え、今年7月の年度決算では過去最高の売上高と利益を達成した。
現在、地元・輪島市からの新規雇用を積極的に進めている。需要増への対応はもちろん、震災で職を失った人が多い中、地域の雇用創出に貢献する狙いもある。兵庫社長は「復興の半ばにある輪島のために、私たちができることはまだまだあるはず」と力を込める。
| 企業名 | 株式会社 トパテック |
|---|---|
| 創業・設立 | 設立 1953年8月 |
| 事業内容 | 金属押出チューブの製造・販売 |
| 関連URL | 情報誌ISICO vol.144 |
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| 備考 | 情報誌「ISICO」vol.144より抜粋 |
| 添付ファイル | |
| 掲載号 | vol.144 |