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経営者が築き上げてきた事業の灯を絶やさないこと。それは、地域経済の活力を守ることに他ならない。承継への道のりは平坦ではないが、国の委託を受けISICOが運営する「石川県事業承継・引継ぎ支援センター」は経営者の確かな羅針盤として、円滑なバトンタッチを無償で支援している。今回の巻頭特集では、同センターの伴走支援により困難を乗り越え、新たな時代へと力強く漕ぎ出した二つの事例を紹介する。
珠洲市の中心部からほど近い海沿いに一軒の銭湯がある。「海浜あみだ湯」。地元の常連客はもちろん、全国から集まる復興作業員やボランティアで連日、賑わっている。くみ上げた地下水を温める燃料は、解体された家屋の廃材である。かつて家族団らんの場を形づくっていた木材が、今は被災者や支援者の心と体を癒やしている。
戦前に創業したあみだ湯が、この場所で営業を始めたのは1988年のこと。先代オーナーの納谷悦郎さんが、地域コミュニティの核となる湯を守ってきた。しかし、70代後半になり、膝の具合が悪くなると、重労働である薪割りが次第に困難となり、事業承継を考えるようになった。
納谷さんには3人の子どもがいるが、それぞれに仕事を持っており、家業を継ぐことは現実的ではなかった。そんなとき、納谷さんが声を掛けたのが、2017年に珠洲へ移住してきた新谷健太さんや楓大海さん、北澤晋太郎さんらだった。彼らはゲストハウスや飲食店、デザイン会社などを営む傍ら、あみだ湯に通い、納谷さんと心を通わせ、銭湯の仕事を手伝っていた。
「新谷さんたちが“誰も継ぐ人がおらんかったら、僕らがちゃんとしてあげるよ”と言ってくれて。お父さんは、仏さんみたいな人が現れたと喜んでいた」と、納谷さんの妻・信子さんは述懐する。
納谷さんは珠洲商工会議所や石川県事業承継・引継ぎ支援センターにも相談を持ちかけていた。商工会議所から北澤さんに、「正式に継ぐ気があるか」と確認の連絡が入ったのは20年春のことだった。電話を受けた北澤さんは、すぐさま移住者仲間に連絡した。「やろう」。銭湯のようなコミュニティが街には不可欠だと感じていたみんなの答えは、すぐに一致した。
しかし、承継への道は平坦ではなく、実に5年近い歳月を要した。最大の障壁は、譲渡金額を巡り折り合いがつかなかったことだ。
新谷さんらは、できることなら納谷さんの言い値で買いたいと考えつつも、経営の実態が見えないことに不安を感じていた。個人事業として経営を続ける中で、詳細な帳簿が残っておらず、適正な収支予測が立てられない上、正確な資産価値も把握できなかったのだ。
そのため、新谷さんらは現場で手伝いを続け、常連客やオーナー家と語らう中で、客目線と経営者目線の両方からあみだ湯の情報を集め、「重油を使わず廃材だけでやりくりすれば、収支はとんとんになる」との確信をつかんでいった。
「今思えば、この期間は互いに信頼関係を育み、覚悟を確かめ合うために必要な時間だった」と納谷さんの長女・下祐子さんは振り返る。
承継への機運が熟しつつあった2024年1月1日、能登半島地震が発生した。配管の一部が損傷したものの、幸いにも建物と地下水源は無事だった。運営に携わるメンバーの身にもけがなどはなかった。市内全域が断水する中、新谷さんらはかねてから交流のあった東京の教育NPOの資金援助を受け、配管を修理。1月19日に営業を再開し、以来、多くの被災者を受け入れた。
一方、納谷さんは避難生活を送る中で、以前から兆候が見られた認知症を悪化させ、金沢市内の施設に入所した。事業承継を進めるにあたっては、判断能力が低下した納谷さんに代わって、下さんが後見人を務めた。
しかし、新たな課題も浮上した。能登半島地震で被災した商工会議所と事業承継・引継ぎ支援センターの支援員が2人とも離職してしまったのだ。ここで下さんからのSOSを受け、後任として伴走したのが、同センターの北渡コーディネーターだった。北コーディネーターは珠洲市出身でM&Aに詳しい専門家と二人三脚で譲渡価格の算定や条件整理に乗り出した。
算出された譲渡価格は納谷さんの希望額を下回るものだった。とはいえ、新谷さんらにとっても、今後必要となる設備の改修費を考えれば、決して簡単に用意できる金額ではない。
交渉は再び行き詰まるかに見えたが、このタイミングで、納谷さんの長男・末政聡さんが画期的な提案をした。震災から約1年間、県が被災者の入浴料金を肩代わりする支援制度により、あみだ湯には大きな利益が生まれていた。この利益から経費を差し引いた額を両者で折半し、それを譲渡の対価に充てるという案だった。これにより、納谷家には算定額を上回る対価が支払われ、新谷さんらも手出しの資金を抑えて今後の改修費を確保できる、まさに双方にとってメリットのある提案であり、親族の一人に組合に入ってもらう条件で合意した。
この提案を受け、北コーディネーターらは即座に動いた。当事者同士では角が立ちやすい条件整理を間に入ってまとめ上げ、保健所や改修業者を交えた会議をセッティングするなど、事業計画の策定を全面的にサポートした。
納谷さんは25年7月、84歳でこの世を去ったが、相続人との間で、同年12月、ついに事業譲渡契約が取り交わされた。

今年1月、「海浜あみだ湯 労働者協同組合」としてリスタートを切った。珠洲市にUIターンしてきた若者を中心に11人が出資者に名を連ねた。
「事業承継をドライな取引で終わらせず、売り手と買い手の気持ちを汲み取ってくれた北さんたちの存在は大きかった」と感謝を口にする北澤さん。下さんもまた、「直接話しにくいことも間に入って調整していただき、安心できた。居心地のいい場所を少しでも長く続けてほしい」とエールを送る。
「人が集まって、広がっていくようにしたい」(新谷さん)、「みんなの日常を温め続けられるようにしたい」(北澤さん)、「とにかく長く続けたい」(楓さん)。若き後継者たちは口々にそう語り、送迎バスの運行を検討するなど、地域に寄り添う新たなアイデアを模索している。
| 企業名 | 海浜あみだ湯 労働者協同組合 |
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| 創業・設立 | 設立 1988年 |
| 事業内容 | 銭湯経営 |
| 関連URL | 情報誌ISICO vol.146 |
|---|---|
| 備考 | 情報誌「ISICO」vol.146より抜粋 |
| 添付ファイル | |
| 掲載号 | vol.146 |