本文
令和6年能登半島地震で被災しながらも、試練を乗り越え、明日への一歩を踏み出した地元企業の奮闘ぶりを紹介します。

輪島市町野町は、能登半島地震において被害が極めて大きかった地域の一つだ。この地で半世紀以上にわたり豆腐の製造・販売を続けてきたエステフーズヤチも、工場が半壊するなどの被害を受けた。
谷内孝行社長は「能登を離れ、金沢へ本拠地を移転することも考えた」と当時の胸中を明かす。そんな中、転倒した機械に致命的な損傷がなかったことが分かり、考えを改めた。「この設備を使って、もう一度ここで商売ができることを示すのが私の役割だと思った」。その思いを胸に、町野町での事業再開を選んだ。
まずは、物が散乱した工場の片付けからスタートした。徐々に製造環境は整ったものの、従業員の避難による人手不足が課題となった。4月の操業再開時に出勤できたのは6人で、震災前の半数以下だった。それでも製造を続け、復旧が進む地元スーパーへの出荷を再開し、地域の食を支えてきた。
やがて新たな動きも生まれた。復興支援のために移住してきた若者の入社が相次いだのだ。彼らは主に豆腐の移動販売を担当し、仮設住宅の住民との交流を深めてきた。「“地域に溶け込みたい”という移住者の思いが、移動販売の業務とうまくマッチした」と谷内社長は分析する。
経営面では、売上重視から利益重視へと転換した。製造を主力商品に絞り、配送頻度を見直して固定費を削減。売り上げは震災前の約7割にとどまる一方で、利益は震災前を上回る水準を確保し、持続可能な経営基盤を築いている。
自社工場の復旧と並行して取り組んだのが、他社事業の承継だ。ISICOが運営する石川県事業承継・引継ぎ支援センターを通じて、後継者不在に悩んでいた小松市の豆腐店「山下」と出会い、技術と雇用を引き継いだ。
当初の目的は、町野町の工場が停止した場合に備え、生産拠点を分散させることだったが、承継後に小松市内の学校給食への提供が始まり、現在はグループ経営を支える重要な拠点となっている。「何よりうれしいのは、地域に愛されてきた店を残せたこと」と谷内社長は語る。
今後は地域に根差しながら、都市部にある百貨店の催事場などへの出店にもチャレンジし、能登、そして石川県のブランドとしての認知を高めていく考えだ。
| 企業名 | 有限会社 エステフーズヤチ |
|---|---|
| 創業・設立 | 創業 1960年ごろ |
| 事業内容 | 豆腐製造・販売 |
| 関連URL | 情報誌ISICO vol.146 |
|---|---|
| 備考 | 情報誌「ISICO」vol.146より抜粋 |
| 添付ファイル | |
| 掲載号 | vol.146 |