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令和6年能登半島地震で被災しながらも、試練を乗り越え、明日への一歩を踏み出した地元企業の奮闘ぶりを紹介します。

輪島塗は完成までに124の工程があり、それぞれを専門の職人が担う分業制の伝統工芸だ。中でも「塗師(ぬし)屋」は、漆を塗る工程だけでなく、商品のプロデュースから販売までを手がける、顧客に最も近い存在である。
1924年に創業した大雅堂も、塗師屋として食器から家具まで幅広い商品を手がけてきた。商品の魅力を発信するため輪島市内にショールームを構え、在庫も多く保管していた。
しかし、それらは能登半島地震ですべて失われた。7棟あった社屋のうち6棟が全壊・半壊し、被害総額は数億円に上った。5代目の若島基京雄(きみお)社長にとって何よりつらかったのが、従業員1人が震災の直接的な被害で、もう1人が避難生活の中で亡くなったことだった。
若島社長は「私自身、あと1秒でも逃げるのが遅ければ死んでいた」と振り返る。発災時にいた自宅は、脱出した直後に1階部分が押しつぶされた。その後、約1カ月間にわたる車中泊と、金沢での二次避難生活を送る中で気持ちが落ち込み、一時は廃業も考えたという。
それでも再起を決意したのは、「事業を続けてほしい」という顧客や取引先の連絡が、次々と寄せられたことに心を動かされたからだ。
在庫の喪失は、事業のあり方を見直すきっかけになった。商品の見込み生産をやめて在庫リスクを抑え、震災前から売り上げを伸ばしていたオーダーメード万年筆の制作や、漆器の修理に力を注ぐことにしたのだ。「輪島塗の価値は完成品だけにあるのではなく、それを生み出す職人の技術にこそある」。多くのものを失った中で、若島社長が改めて発見したことだ。
2024年9月には、輪島市と中小機構が整備した仮設工房に入居し、妻の土百江(ともえ)さん、輪島塗職人1人とともに再スタートを切った。
失った道具の代わりに、絵画用の筆を漆塗り用に改造したり、食卓に上った鯛の歯を加工して蒔絵に艶を出す道具にしたりと、身近なものを使いながら制作に取り組んでいる。
現在は、ISICOに相談しながら申請した県のなりわい再建支援補助金を活用し、市内に新たな工房を建設中だ。「職人さんが協力し、生きがいを感じながら商品を生み出せるような空間にしていきたい」と若島社長。技術を次世代へつなぐ拠点は、年内に完成する。
| 企業名 | 輪島漆器大雅堂株式会社 |
|---|---|
| 創業・設立 | 創業 1924年 |
| 事業内容 | 輪島塗製品の製造・販売 |
| 関連URL | 情報誌ISICO vol.149 |
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| 備考 | 情報誌「ISICO」vol.149より抜粋 |
| 添付ファイル | |
| 掲載号 | vol.149 |