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新たな「美」を実現する技術力で、金沢箔をブランドとして発信

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巻頭特集
熾烈な産地間競争で優位に立つ“地域ブランド”の確立で商機拡大へ

自然や歴史、産業、文化など、地域の特性を生かした新商品のブランド化によって、他産地との差別化を推進する取り組みが全国で活発化している。“地域ブランド”と呼ばれるこの取り組みは、競争相手に対する優位性や長期的な顧客を確保するなどのメリットがあることから、中小企業にとっても重要な戦略となりえる。今回の特集では、伝統の技を大切にしながら、“地域ブランド”の活用によって新たな展開を目指す二つの事例を紹介する。

材料に過ぎなかった箔で自ら商品づくり

箔一の本社「箔巧館」の1階に設けられたショールーム 写真 金沢市森戸にある箔一の本社「箔巧館」を訪れると、一階のショールームには金箔を施した漆器やガラス細工、アクセサリーなどが展示、販売されている。その数は実に1000点以上に及び、これらすべてが同社によって企画、製造されたものである。
 1万分の1ミリという薄さまで箔を延ばす職人の技術と、箔の製造に適した気候や良質の水に恵まれた土地である金沢は、日本一の金箔生産地として知られ、国内生産においては98%のシェアを誇る。
 金沢生まれの金箔をあしらった工芸品は、今でこそ金沢箔工芸品と称され、全国的にもその名を知られるようになった。とはいえ、金箔を主役に商品を企画、製造し、「金沢箔」を冠したブランド名で工芸品が流通するようになったのはそう古いことではない。
 そして、その先べんをつけたのが箔一を創業した浅野邦子社長である。 
 時は約30年前にさかのぼる。金沢の製箔業者の四男の元へ京都から嫁いできた浅野社長は、製箔業者の仕事のあり方に疑問を感じていたという。
 金箔は西陣織や三河仏壇、山中漆器など、知名度の高い工芸品や美術品の装飾として使用されていたものの、当時の製箔業者は箔を材料として卸すことが仕事であり、最終的に消費者が手にする商品に金沢箔という名前が残ることは皆無だった。
浅野社長 写真 「どんなにいい箔を作ったとしても、最終商品を作るメーカーが使えないと判断すれば、箔の注文は減ってしまうのでは」。浅野社長が抱いたこうした不安は、オイルショックによって現実のものとなり、金沢の製箔業者はいずれも不況の波に飲み込まれていった。
 このとき浅野社長は、「金箔を使った商品を自ら作れば、自分たちが商売の主導権を握れる上、金沢箔の名前も残すことができる」と考え、箔の生産だけでなく、箔工芸品の開発、製造、販売までを一貫して手がける会社を創業した。「箔屋で、女で、一番に工芸品を作り始めた」という心意気を表すために社名を箔一とした。製造した商品には「金沢箔工芸品」と銘打った。こうして、金沢箔の名を冠した商品が世の中に出ることになったのだ。「今から思えば、素人だから発想できたこと。箔屋に生まれ、育っていれば思いもつかなかっただろう」と浅野社長は当時を振り返る。

価格攻勢には技術力で対抗

東京・南青山の直営店。内装には、金沢箔を張った自社製建材を使用している 創業以降、同社は紆余曲折を経ながらも増収増益を続けた。浅野社長が一貫してこだわり続けてきたのがモノづくりの根幹をなす技術の追求である。というのも、「伝統工芸として基本は残していかなければいけないが、時代によって変化する生活様式や多様化する消費者ニーズに合わせた商品を作っていくためには、新しい技術が必要」と信じているからだ。今では日常品として広く普及しているあぶらとり紙も、昭和51年に同社が開発し、特許を取得。全国的にヒットさせたのが先駆けである。
 しかし、平成11年、あぶらとり紙の大口納入先に他社が価格攻勢を仕掛けると注文が激減。企業の成長にも歯止めがかかった。ここから他社の価格破壊は激しさを増したが、浅野社長は価格競争に付き合うことはせず、他社の真似できない技術開発に力を注いだ。
 箔の中にさまざまな文様が浮かび上がる「友禅箔」や箔を燻してカラフルに色付けした「色彩箔」などは、従来の箔に新たな付加価値を加えたオリジナル箔である。
 また、接着技術や加工技術などを磨くことで、強度を大幅にアップさせ、用途を広げた。その結果、現在、箔一の製造する商品は、工芸品にとどまらず、食品、インテリア建材、化粧品など、多岐にわたっている。
 さらに開発力を磨こうと平成15年には東京・南青山に直営店をオープンした。「世界中からさまざまな感性の人が集まる場所ですから、時にはこてんぱんに言われることもある。それでもニーズをとらえる参考になる」と浅野社長は進出の狙いを話す。

手仕事と機械化は50対50で

 高品質の製品を効率よく製造するため、同社では製箔から工芸品製造までをオンラインでこなす一貫工場を安原工業団地内で稼働させている。工場内で稼働している機械も自社開発したものばかり。現在は物流センターを合わせて4棟にまで増設し、食品を製造する工場はHACCPにも対応している。
 「機械化は進めていますが、手仕事と機械化の比率は50対50になるようにしている。すべて機械では作り手の心が伝わらないし、かといってすべて手仕事では量産できませんから」。浅野社長は、伝統と革新、卸と小売り、いずれのバランスも50対50になるように気をつけているという。
新築マンションのエントランス部分に飾られた箔一のアートパネル 写真 近年では、異業種とのコラボレーションも増加してきた。例えば、平成17年にはユニチカ(株)(大阪府)と共同で生分解性樹脂を使用した環境に優しい金沢箔工芸品を製造し、愛・地球博にも出品。また、住友スリーエム(株)(東京都)とはシート状の建材を開発した。このほか、伝統産業と先端技術の連携による新産業の創出を目的に、石川県が実施している「温新知故産業創出プロジェクト」では松下電工(株)(大阪府)とタッグを組み、研究開発を進めている。
 浅野社長は「金沢箔の美に魅せられたことが出発点。箔はドイツやイタリアにもあるが、技術は金沢が一番。これからも世界に通用する商品を作っていきたい」と語り、技と美により一層磨きをかけていく考えだ。

企業情報

企業名 株式会社 箔一
創業・設立 設立 昭和52年9月
事業内容 金沢箔工芸品、あぶらとり紙などの製造、販売

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備考 情報誌「ISICO」vol.30より抜粋
添付ファイル
掲載号 vol.30


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