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ISICOは5月30日に人材セミナーをオンライン開催し、中小企業経営者としての自身の失敗経験を生かして経営コンサルタントになり、現在は社会人大学院の教授としても活躍する井上善海氏が、人を大切にする会社の「負けない戦略」について、事例を交えながら解説しました。その内容をダイジェストで紹介します
法政大学大学院政策創造研究科教授・博士(商学)
同中小企業研究所所長
経営コンサルタント
井上 善海(ぜんかい)氏
私は企業経営者から経営コンサルタントを経て、今は大学で研究職を務めています。理論と実践の融合を目指して、長年にわたって企業経営に関わり、研究する中で気付いたのが「負けない戦略」の重要性でした。
多くの企業は勝つための戦略を練っています。しかし、勝てるかどうかは敵によって決まるため、必ず勝てる戦略、体制を構築するのは非常に困難です。だからこそ、まずは負けない戦略、体制を作ることが大切なのです。勝ちに行かなくても、負けない戦略で戦って持続的に発展している企業も数多くあります。
負けない戦略を採って成功している企業を分析する中で、私は下記の9つの共通項を見いだし、「戦略定石」と名付けました。
負けない戦略を構成する「戦略定石」
(1) 企業家精神を発揮する
(2) 社会事業責任を果たす
(3) 理念に基づく経営をする
(4) 長期的な変化に適応する
(5) 人を大切にする
(6) 自社の立ち位置を明らかにする
(7) 他者の力を借りる
(8) 適正規模を維持する
(9) 事業の仕組みをつくる
9つの戦略定石の中からいくつかピックアップし、事例を紹介しましょう。
戦略定石の(3)を実践している好例が、大阪で特殊鋼を加工販売するA社です。同社は「社員第一主義」を経営理念に掲げ、働きやすい職場づくりに努めています。
分かりやすいのは記念日に合わせたメモリアル休暇などの有休制度で、有休消化率は70%を超えています。そんなに休んでいると業績が心配になりますが、社員のモチベーションが向上することで、顧客満足や業績のアップにつながっています。
ただし、制度をまねただけでは失敗に終わるケースが多々あります。まず取り組むべきは制度を使いやすくするための風土づくりです。同社の場合は、有休制度の充実に先駆けて「子どもの学校行事の日は必ず休む」というルールを設けました。その結果、休暇前に仕事を効率的に終わらせたり、周りを気遣い、カバーし合ったりする風土が醸成されました。
ほかにも、加点方式の人事評価、頑張っている人を社員全員で選ぶ「月間ベスト社員」表彰、会社負担のがん保険や人間ドック、社員の子どもへの入学祝い金など、さまざまな施策を導入しています。
同社は従業員40人ほどの規模ですが、毎年3、4人の採用枠に100人前後が応募してきます。人手不足に悩んでいる中小企業の中には、「採用」の強化ばかりに目を向けているところも多々ありますが、ゴールはあくまでも「定着」です。働きやすい会社で社員のモチベーションが高ければ、自ずと定着率が上がり、採用にも好影響が出ます。定着してもらうには何をすればよいか。そんな視点で会社を見直すことも忘れないでください。
岡山県のB社では戦略定石の(5)を実践しています。同社は自動車盗難防止用電動バリケードやアクセルペダルの踏み間違いによる事故を防ぐ装置など、ちょっと進んだものづくりに取り組む産業機械メーカーです。
同社では定年退職した社員や障害者の雇用の場を創出するため耕作放棄地を活用したアグリビジネスを始めました。障がい者と健常者の賃金格差解消にも努めています。新入社員研修や社員の人間力を鍛えるための勉強会にも力を入れています。運動会や部活動など、親睦を深める機会も積極的につくっています。
最近、新築した社屋には栄養バランスの取れたランチを安価で提供する食堂や専属トレーナーのいるトレーニングジムのほか、座禅道場まで整備しました。座禅を取り入れて以降、品質が高まり、工場での事故が激減したそうです。
リターンを得るためには投資が必要です。人にかけるお金をコストと捉えず、投資と捉える視点が重要です。
また、同社では、経営理念を全社員に浸透させるために勉強会を開催しています。素晴らしい理念や目標、戦略も社員と共有できなければ実効性が上がりません。単に掲げるだけでなく、しっかりと共有するよう心がけましょう。
戦略定石の(6)は、自社の事業活動の範囲、領域を決めることを意味します。ここでは千葉県のC社の例を紹介しましょう。同社は一斗缶を製造する機械の開発やメンテナンスを手掛けていましたが、バブル経済崩壊のあおりを受けて経営危機に陥り、その後、食品業界向けの産業機械へと事業を転換して息を吹き返しました。
業績回復のポイントは、商圏を車で1時間以内に行けるエリアに絞ったことでした。片道2、3時間の場所に顧客がいると、メンテナンスに出向くだけで1日仕事になってしまいますが、商圏を絞ることで、頻繁に顔を出せるようになります。足繁く通う中で取引先が抱えている問題を見つけ出し、食品機械用の潤滑剤、あるいは食品工場でビニール袋を開封する際に出る切りくずを劇的に減らす工業用ハサミなど、ヒット商品を開発することができました。
これらの商品をPRするため、多くの集客が見込める展示会に出展し、実演はプロに任せています。販売にはネット通販を活用しています。同社の社員数は17人に過ぎません。限られた人材を有効活用するには、商圏や販売戦略にひと工夫が欠かせないのです。
戦略定石の(9)に関しては、東京にある印刷会社D社を紹介します。市場規模が縮小する印刷業界にあって、同社はここ10年で売り上げを3倍に伸ばしました。その秘密は、印刷という本業をコアにしながら周辺ビジネスに活路を見いだしたことにあります。
例えば同社はもともと、コンビニエンスストアで掲示されるポスターなどの販促ツールを印刷していました。これらの販促ツールは納品先の各メーカーがコンビニの各店舗に直送します。しかし、店舗によって必要な枚数はばらばらで、それを管理しながら梱包、配送するのは手間が掛かります。そこで同社が各メーカーの販促ツールを一括で管理し、各店舗にまとめて配送するサービスを提供したところ、コンビニだけでなく回転寿司やドラッグストアなどのチェーン店へと利用者が広がりました。その結果、今では売り上げに占める印刷の割合は10%に過ぎません。
転機となったのは経営危機でした。それまで売り上げの主力はカメラ用フィルムのパッケージ印刷でしたが、デジタルカメラの登場によって需要が急減したのです。この際、海外視察で1ドルの印刷の周辺には6~8ドルの付帯サービスがあることを学び、ビジネスモデルを変革するヒントとしたのです。
この会社も社員への投資に積極的で、一人当たり年間200時間、つまり就業時間の10%を教育、研修に充てるほか、女性が働きやすい環境整備にも熱心です。人を大切にする姿勢と負けない戦略で、ぜひ社業を発展させてください。
企業名 | 公益財団法人 石川県産業創出支援機構 |
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創業・設立 | 設立 1999年4月1日 |
事業内容 | 新産業創出のための総合的支援、産学・産業間のコーディネート機関 |
関連URL | 情報誌ISICO vol.129 |
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備考 | 情報誌「ISICO」vol.129より抜粋 |
添付ファイル | |
掲載号 | vol.129 |