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小松市粟津温泉の商店街にヨーロッパを彷彿とさせる雰囲気を醸し、個性的な色合いを放つ店「メティサージュ」がある。地元粟津出身のフランス人のアンデルス・ゲイトウさんと西出直美さん夫妻が営むフランスのパン屋さんだ。店名の「メティサージュ」は、フランス語で「交流する、交わる」という意味があり、地元の人たちとパンを通して交流する店をめざし2008年にオープン。以来8年足らずで知る人ぞ知る人気店となった商いの秘訣を伺った。
アメリカの短大への留学を経て、コスタリカの大学でスペイン語を専攻していた西出直美さん。一方、パリでパン職人として修業しながら起業することを考えていたアンデルスさんは、身内が中南米でビジネスをしていたことから、起業の可能性を探るため時を同じくしてコスタリカに滞在。そんな偶然が重なる中で二人は出会い意気投合する。コスタリカでの商売が難しいことが分かり、アンデルスさんは新しい職場を見つけロンドンへ、直美さんもロンドンの学校に移り1年半余り生活する。その後、アンデルスさんはパティシエの資格を取るためパリに戻り、そこで二人は結婚。4年後に子供ができパリで出産するも、フランス語が流暢に話せるわけでもない直美さんにとって言語の壁が大きなストレスとなり、その状況から脱するには日本に帰国するしか選択肢はなかった。アンデルスさんもフランスではなく外国で起業したいと考えていたため、それが日本でも悪くないとなり、直美さんの実家がある粟津温泉に家族で戻ってきたのが10年前のこと。
日本のパンとヨーロッパのパンは全く別物で、日本でパンと言えば菓子パンや総菜パンを思い浮かべるのに対し、ヨーロッパではフランスパンに代表される食事パンが主流。そのため、アンデルスさんはフランスで学んだ技術を生かし、日本で出会った食材を用い、自分にしか作れないオリジナルのパンを作るようになった。材料を仕入れるにしても、二人には縁故も情報も全くなく、しかもヨーロッパの原料を入手するのは至難の業に近い難しさがあった。業者を探すことから始まり、とてつもなく遠回りしながら一つひとつ課題を解決していくしかなかった。原材料から徹底してこだわりたいアンデルスさんは、ヨーロッパで使われているものを業者に発注するも、日本国内ではヨーロッパ系の材料がほとんど流通しておらず、材料探しは苦労の連続で、何とかフランス産の小麦を1種類入手するのがやっとだった。以来、業者の努力もあって最近では6種類の小麦が手に入るようになり、職人としての徹底したこだわりに業者も心動かされ、本当にいいものを厳選して持ってきてくれるとのこと。
現店舗の物件は、直美さんの父親の所有で、たまたま空いていたことから店舗を探すことだけは苦労はなかった。とはいえ、銀行に借金の相談に行っても信用がないため地元の地銀には相手にしてもらえず、結果的に父親の取引銀行に相談に乗ってもらい、ようやく元手となる資金を借りることができ、信用がないことの壁の高さを痛感させられる。その資金で最小限のリフォームを施し、必要な備品や機械を揃え、フランスのパン屋さんとして、フランスパンやクロワッサンなど十数種で開店にこぎつける。当初は、フランス人が作るパンということで、物珍しさもあってメディアにも紹介され、お客さんが押し寄せ想定外の売上を記録する。ところが、半年も経たずに来店客数が減り売上も減少し始める。そんな落差に直面し、自分たちのパンの正当な評価が見えず、日本人好みのパンを作った方がいいのではないかと悩み、二人は連日議論を闘わせたという。そんな状況下にあっても、日本人に合わせたパンづくりはしない、フランスのパンを作るというアンデルスさんの信念は揺らぐことはなかった。「たまたま私たちが店を始めた頃から、日本人の中にも本物の味、個性、その店でしか食べられないものを求めるお客さんが育ち始めていたのか、気が付くとそんな根強いファン客に支持され、今日までやってくることができた」と振り返る。常連客は、アンデルスさんの作るフランスのパンを求めて来店しており、フランスパン職人としての頑固さが結果的に奏功した。「自分はフランスのパンしか作れない。自分のできない日本人好みのパンを作ろうと経験のないことに手を出す方がよほど危ない」とアンデルスさんは強調する。「オープン当初の夢見心地の状況と売上が激減した落差を経験したことが私たちにとってプラスだった。この先どうしようかと日々すごく悩んだが、絶対に大丈夫、お客さんが本物の味を分かってくれる日が必ず来る、と考え頑張ってきました」と二人は見つめ合う。
粟津温泉に戻ってきて3年が経過した頃、自分の子供たちが楽しく過ごせる場所や環境を作ってあげたいと思い始めた直美さんは、仲のいいお店の奥さんたち6人に、子供たちが楽しめるハロウィンのイベントをやってみないかと声をかけたところ、快く受け入れてもらうことができた。1回目は地元の子供30人ほどが、仮装の仕方も分からないため、見よう見まねで簡単な飾りを身につけ町中を賑やかに歩いたのが始まり。とにかく粟津の町に人が集まるきっかけになればと気の合う仲間がボランティアで始めたイベントだったが、年々賛同する店舗が増え、現在は45店舗が参加。3年前から地元の粟津温泉商交会も協賛する形になり、ささやかに始めたハロウィンのイベントが街に活気と人を呼び込み、今では地元だけでなく小松市内外からの子供たち800人あまりが参加する一大イベントに成長している。「規模が大きくなってくると様々な意見が出てきますが、粟津の魅力を知ってもらうきっかけになればという当初の目的を忘れず、実行委員会のボランティアの皆さんの負担にならないよう、気軽に参加してもらえるスタンスを維持しながら、今後も継続していきたい」と目を輝かせる直美さん。
開店以来、二人が時間をかけてつながりを作ってきた魅力ある商いを展開している人たちの輪を活用し、ヨーロッパのマルシェをやろうと小松市内を会場に4年前に「フレンチマルシェ」を12店舗で初めて開催した。その翌年は22店舗に増えたが、直美さんの出産のため1年のブランクを経て、28年9月に小松駅近くに理想的な空地を見つけ、市役所に交渉して借り受け、そこを会場に「ブロカントグルメ」と改称して盛大に開催。個性的で魅力ある商いをしている市内、市外、県外の店主たちに声を掛け、雑貨店、レストラン、チーズ専門店、骨董店等々45店舗が参加し、数千人の来場者があったという。この活動を通して若い世代の気骨のある人たちが、オリジナリティーの高い商品やサービスを発信し、キラリと光る個性ある店が県内外あちこちで育っていくことで、気が付くとその店がある地域が魅力ある街になっていくのではないだろうか。粟津温泉で店を持ってから8年あまりで、45店舗もの同志を集められるとは、アンデルスさん夫妻の人間的な魅力の奥深さを見せつけられる思いだ。「私はやりたいと思うと即行動を起こすタイプで、自ら旗振り役になっています。このイベントの開催については小松市もバックアップしてくれ、チラシを置かせてくれたり、イベント当日には市長さんや市会議員の方も来場してくれました」と感謝する。
同店がある粟津温泉は、山代・山中・片山津の各温泉に宿泊した人たちが、翌朝の帰り道に立ち寄る定番コースになっており、忘新年会の時期は毎朝来店客でごったがえすという。忙しい日は早朝4時頃から仕込みを始め、一日に800~1,000個のパンを作る。人気No.1は直美さんも惚れたクロワッサン。もちろんその日によって売れ行きが異なり、かつてはそれに一喜一憂していたが、今では8年間のデータがあるため、今日は何をどれだけ作るか、そのデータに基づいた商いをしている。最近では、オードブルの注文やクリスマス用のパンの詰め合わせ、バレンタインデーのチョコのセットなど、お客さんがどんな商品を求めているのか、毎年研究しながら可能な範囲で対応している。
29年3月には市内中心部の商店街の中に新たにカフェを出店する。ここにはアンデルスさんが常駐し、パンを焼いて提供するスタイルに。「故郷を遠く離れ日本の小松に来てくれたフランス人の主人が、フランスにいるかのようにくつろげる居心地のいい店にしたい」と直美さんは準備を進めている。その先も何をしていくか、二人の頭の中には青写真が描かれているが、「それは内緒でこれからのお楽しみ」と言葉を濁す。こうした自分たちの未来予想図を描けるようになったのはここ最近のことで、ようやく自分たちの目の前を覆っていた雲の間から日が射し始め、これから歩んで行くレールが目の前に見え始めているようだ。
もし、売上が激減した時期に、日本人に受ける日本のパン屋で売っているようなパン作りにシフトしていたら、おそらく今日のメティサージュはなかったに違いない。なぜなら、どこのパン屋でも買えるパンをわざわざ買いに粟津まで足を運ぶ人はいないからだ。フランス人パン職人としての誇りと信念を曲げることなく、本物を追求し続けたことが成功につながった。とはいえ、直美さんは「私たちは成功などしていません。店が繁盛し始めたら成功したわけではなく、お金持ちになったら成功でもなく、成功したと思った時点で成長が止まってしまいます。その意味で、主人と私には成功という定義はありません。これからもひたすら挑戦し続けます」と熱く語る。いろんなパン屋さんのパンを食べてみたけど、やっぱりメティサージュのパンが一番美味しいと戻ってきてもらえるよう、原料にこだわり、フランスのパン屋であり続けること、自分たちの店にしか出せないカラーを出し続けていくことが二人の道しるべ。新店出店を見据え、ご主人の右腕となる若いパン職人を採用し、職人技を惜しみなく伝授している。「人を入れることで自分たちの知識が広がり、商品のバリエーションが広がることでお客さんの層も広がります。人件費は大きな負担になりますが、人を育てていかないと店も育たない」というのが二人のポリシー。いろんな人たちと交流することが自分たちのプラスになるとの思いから店名にしたメティサージュ。粟津温泉がヨーロッパのようなおしゃれな雰囲気の町になり、全国からの交流人口が増えることを二人は夢見て邁進している。
店名 | メティサージュ |
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住所 | 小松市粟津町ハ72-1 |
TEL | (0761)65-2399 |