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世代交代を機に、柔軟な発想と行動力で鍛冶屋の新しいビジネスモデルを構築

印刷ページ表示 更新日:2017年12月1日更新

ふくべ鍛冶

世代交代を機に、柔軟な発想と行動力で鍛冶屋の新しいビジネスモデルを構築-ふくべ鍛冶

石川県能登町で創業から109年、親子4代にわたって受け継がれ、能登の漁師や農家にとってなくてはならない存在となっているのが、金物鍛造販売を商う「ふくべ鍛冶」である。2年前に役場職員を辞め4代目を継承した干場健太朗氏。公務員時代の知識と経験を活かし、新しい時代の鍛冶屋へ脱皮すべく、父と二人三脚で邁進し、現場の声を吸い上げ、ふくべモデルとも言うべき、新時代の鍛冶屋のあり方を次々と発信。先般、中小企業庁の「はばたく中小企業、小規模事業者」にも選定された。4代目の思い描くビジネスモデルとは・・・。

突然の不幸で、後を継ぐことを決意

子供の頃から両親が切り盛りしていたふくべ鍛冶の商売を見て育った健太朗氏は、ゆくゆくは後を継ぐつもりでいたが、役場に就職して以来、なかなか踏ん切りをつけるタイミングがないまま、12年あまりが過ぎた。ところが、2年半前、母親が病気で急死するという突然の不幸が干場家を襲う。計画を立て準備を整えての後継ではなかったが、家業にとっての緊急事態だけに、自分が戻って父親をサポートすることを決意する。まずは、鍛冶職人としての技術を身につけなければならないことから、毎朝起きると父親と共に工場に行き修業をし、8時には役場に出勤し、帰ってくると研ぎの仕事を学ぶという日々を繰り返し、睡眠時間は2~3時間しかないという日々を送る。「心身共に大変でしたが、何とかしなければという思いだけで頑張りました」と2足の草鞋を履いていた当時を述懐する。研ぎの練習をする包丁が足りず、近所の人たちから包丁を借りてきたり、職場の人たちからも包丁を借りて研ぎの練習を重ね、父親の指導を受けながら1年が経過し、ようやく合格点がもらえるレベルにまでなったことから、その年の3月に役場を退職し、4月から4代目としての人生がスタートした。

改めて父親の偉大さを実感

実際に父親と仕事をしてみて、職人としての腕もさることながら、地域の人たちにいかに必要とされているかということを痛感させられる。農家は農作業の前に道具類を修理しないと使えないため、常連さんから新規のお客さんまで、次々と持ち込まれ想像していた以上に日々修理作業に追われる。県内で唯一ふくべ鍛冶だけが、農具の修理ができるため、能登だけではなく県内全域、隣県からも持ち込まれる。そうした日々を目の当たりにし、いかに必要とされている仕事であるかを改めて痛感させられると同時に、やり甲斐にもつながり、改めて職人としての父親の凄さを思い知らされる。「鉄は熱いうちに打て」と言われるとおり、ぼっとしていると鉄は冷めてしまい、熱しなおす回数が増えれば燃料費も嵩み、ベテランと駆け出しでは、作業時間もコストも大きく違ってくる。そうしたコスト意識も身を以て学ばされる。

移動鍛冶は、人とのつながり、情報収集にも貢献

毎週2回、能登町内の集落を移動販売車で巡回する移動鍛冶を実施している。お年寄りは修理して欲しいものがあっても、重くてとても持ってこられない上に、移動手段がないところもあることから、待っているのではなく自分たちが出向いて行こうと4代目のアイデアで地域に密着した移動鍛冶のサービスをスタートする。この移動販売車の購入にあたっては、役場にいた経験から、福祉部門に買い物弱者支援の補助金があることを見つけ、その補助金を活用して導入する。役場勤めの知識が商いにも活かされた格好だ。「お年寄りからは手を合わせて感謝されますし、巡回するたびにたくさんの修理品を預からせていただいています」と嬉しそうに語る。この移動鍛冶のことがNHKのにっぽん紀行で全国放送され、かなりの反響があり、修理品が全国から何百件も送られてきて、その対応に追われたという。そのおかげで、従来は県内だけだったお客さんが全国に増え、嬉しい悲鳴をあげている。この移動販売を始めたことで、修理品の回収もさることながら、あちこちの魚屋さんの現場で、どんな道具を使ってサザエを開けているかという実態も自分の目で見て回ることができ、それが「サザエ開け」の開発につながった。


看板商品「サザエ開け」を開発

オリジナル商品であるサザエ開けを情報発信するため、利用してもらえることが想定される県内の寿司店や海女さん向けにチラシを何百通もFAX送信したところ、予想以上の反響があり100丁あまりの注文が舞い込む。同店のサザエ開けの特徴は、サザエの貝柱を一瞬にして切り取ることができる独自の角度で作られていることで、この角度が1度狂っても使い勝手が悪くなるというこだわりの品。従来まで、錆びに強いステンレスを素材に使っていたが、普通のステンレスでは、力を入れた時に曲がってしまい、微妙な角度がずれて使い物にならなくなってしまうことから、工業用の素材でもあるステンレスの鋼を使って作られている。これは、包丁の刃先にも使用されている切れ味鋭く、耐久性や耐摩耗性に優れた素材で、地元輪島の海女さんにも好評で、30丁ほど売れたという。この素材を見つけるのに2年半余りを要し、そこから商品化するまでに半年をかけ、ベストな角度を見い出すべく、何度も何度も試作を繰り返した労作である。

瓢箪から駒を出す

牡蠣養殖の本場である広島県の養殖場に足を運び、牡蠣の剥き子の人たちから牡蠣開けに求める声を集めたところ、微妙にそれぞれの人が求めている角度や長さが異なり、これに全て対応するのはとても無理と判断した。しかし、ここはふくべモデルはこれだという商品を提案するしかないという結論に至る。その養殖現場で、海底10メートルから引き上げた牡蠣棚のワイヤーを切り取るクリッパー(大型のハサミ)を作ってくれないかという相談を持ちかけられる。それまで広島で1社だけが専門で年間に千本あまり作っていたが、その職人さんが事業から撤退したため、牡蠣養殖業者は大変困っていた。建設現場で使用される同様のものはホームセンターでも販売されているが、それでは重すぎて船の上での長時間の作業が困難だった。軽くて切れ味が鋭いことが養殖現場には不可欠なことを知り、早速持ち帰って父親に相談すると、「こんな二枚刃はうちに技術がないからできるわけがない」と反対される。しかし、そこで諦めない4代目は、現物の見本もあり、焼き入れの技術や金属工学に基づいて設計すれば、必ずできるはずと試作品づくりに挑む。たまたま地元の中島の牡蠣養殖業者の中に、1社だけ広島と同じ養殖方法を採用している業者があり、そこへ足を運び何回もやり取りして満足できるものにしてから広島に持っていった。競合他社8社ほどが試作品を完成させ、現場で実際に使ってみてもらったところ同店のクリッパーが高評価を受け、広島県漁連から初年度100丁以上の注文が入る。これは今後も長い取引が予想され、新たな看板商品になる可能性を秘めている。


世の中の困ったを良かったに変えていく

こうした商品開発は、現場に足を運び、現場の声を聞いたことで取り組むことができたわけで、職人として待ちの仕事だけをしていたらこの出会いはなかった。このことは、現場の困ったを良かったに変えていく取り組みをこれからどんどんやっていく重要性に気付くきっかけとなり、そうした全国の困ったを集めていくことで、その中から次々と新たな良かったを創出していくことに邁進していく考えだ。現地では、牡蠣バサミとして愛用されているクリッパーだが、同店ではオイスタークリッパーと命名して販売を開始。毎年数百本程度はコンスタントに需要があり、同店にとっての新たな稼ぎ頭に。この成功に気をよくした4代目は、次なる困ったを良かったにする取り組みとして、県内の伝統工芸である輪島塗や山中塗の木地師が使う荒削り用のバイトの開発に挑戦中で、「地元の地場産業に必要な道具は全てうちで作るぐらいの意気込みでやっていきたい」と熱く語る。こうした取り組みを通じて、鍛冶屋本来の仕事を中心に商いの枝葉がどんどんと広がり始めていることを自らも肌で実感している。

事業拡大に向け雇用を積極的に増やす

行政の移住定住をサポートする組織の仲介で、29年5月から東京からIターンし、能登で生活する30代の男性を職人見習いとして採用する。ゆくゆくは自身の右腕に育てたい考えで、移動販売の充実ならびにネット通販をスタートさせるにあたっての戦力としても期待をかけており、事業を拡大していく上で、人材確保が重要な鍵を握っている。これまで店舗の直接販売の売上しかなかったのに対し、移動販売、ネット販売、カタログ通販、大手雑貨店への卸業務等々の販路開拓に取り組み、さらにニッチな特注品の市場でトップシェアを取るための足場固めにも余念がない。「新しいことに取り組み始めた当初は、父親から痛い目に遭う前に止めるよう相当反対されたが、目に見えて成果が出始めてきたことで、今は任せてくれることが増えてきた」と嬉しそうに語る。

技術を伝承するため、雇用と商品開発に注力

現在は店舗と作業場が離れた場所にあるが、将来的にはオープンファクトリー的な施設を整備し、地元の人はもちろんのこと、県外からの観光客にも体験型観光の目玉となるスペースを作ることを思い描いている。全国規模の展示会にも可能な限り出展し、自社商品を販売することもさることながら、次なる商品開発につながる協力企業を見つけることを意識して参加している。4代目のモノづくりの鍵は、現場に納得してもらえるかどうかであり、自社で出来ないからやらないではなく、やれない部分は協力企業にしてもらい、できる部分を自社でやって、現場が納得する商品を納めること。新潟県の燕三条で毎年開催される「工場の祭典」には父親と一緒に毎年出かけ、最新の金属加工の現場を二人で見て最新の技術情報を共有し、進むべき方向性を話し合うことを大切にしている。事業継承において大事なポイントは、お互いの価値観を揃えることであり、父親とのコミュニケーションにおいても4代目の配慮が心憎い。一人前の鍛冶職人になるには15年かかると言われるが、70歳の父親が15年後の85歳まで元気で働ける保証はなく、その技術を5年以内に習得するにはどうすればいいかと考え、一人で出来ないのなら従業員を雇い、役割分担をすることで時間を短縮し、技術を習得する方向で進み始めている。と同時に、若い世代の発想と観点からモノづくりを見つめ直し、従来の鍛冶技術を応用しつつ、世の中の困ったを良かったに転換していく、新しいビジネスモデルの具現化に向け、4代目の取り組みは始まったばかり。

店舗概要

名称 ふくべ鍛冶
住所 鳳至郡能登町宇出津新23番地
TEL (0768)62-0785
URL http://www.fukubekaji.jp