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2016年7月15日、金沢市野町の住宅街にひっそりと佇む、明治25年に建てられた1軒の古い町家が、内外装のリニューアルを経て、1日1組限定のゲストハウス『初華 ui-ca』として新しいスタートを切った。初華の主は、20年あまりの金沢暮らしで、すっかり金沢の虜になった大分県出身の町家由美子さん。金沢をこよなく愛する町家さんが、初華をオープンするに至ったいきさつ、事業に託す思いを伺った。
大分県出身の町家さんは、縁あって、加賀市山中温泉で仲居として働き、その後金沢に出て、片町の料飲店での勤務を経て2000年に自らの店を持つ。10年余り営業する間、雑貨の販売にも興味を持ち、雑貨カフェの店も開くが、これは上手くいかず2年足らずで閉店。その後、結婚して専業主婦に。結婚相手の苗字が偶然にも町家さんだったというから驚きだ。金沢で長く生活するうち、昔ながらの面影を残す町家が点在する町並みが気に入り、接客の仕事が好きだったことも相俟って、いつか町家でゲストハウスができたらという思いが芽生えていた。2011年に長女を出産し、これから先の人生設計を考える中で、以前から温めていたゲストハウスの仕事であれば、子育てと両立してやっていけると考え、本格的に市内の物件を探し始める。不動産屋を訪れ、紹介された物件を見て回るものの、立地やコスト面など、いずれも「帯に短かし襷に長し」で、思い描く出会いがなかなかなかった。そんなある日、金沢市が運営する「金澤町家情報バンク」という専用サイトの存在を知り、その中で見つけた1軒が現在の物件。明治25年に建築された母屋とその後に建て増しされた増築部分で構成された延べ約100平方メートルの木造2階建。場所は、野町の裏通りで忍者寺からも近い六斗の広見から徒歩1分の好立地。向かいには月照寺があり、ノスタルジーを感じる周辺環境にも魅せられ即決する。
雑貨カフェを素人考えでやって失敗した反省から、金沢市が主催する「かなざわ女性起業塾」に参加してビジネスマナーや商いのイロハを学び、資金面でも伝統的建造物保存地区というエリアにあることから、国と市の補助金を活用し、石川県産業創出支援機構にも相談に乗ってもらう。「初めて現在の物件を見た時は、荷物の溢れる倉庫のような状態で、雨漏りの跡など傷みも酷かったが、宿になる姿がすぐにイメージ出来た」と振り返る。元は紙問屋だったという歴史があることから、1階のコミュニティサロンの壁面は和紙で飾り付け、昔住んでいた人たちの名残を感じるような痕跡を活かしながらリニューアル。1階の居間にある柱時計もあえて止めたままにすることで、時間を忘れてのんびりしてもらいたいと、インテリアとして存在している。明治からこの家で生活してきた人たちの歴史や、様々な記憶を纏う町家でゆったりとした時を過ごしてもらう中で、例えば丈比べをした柱の傷跡を見た時に、忘れかけていた自分たちの幼かった時の記憶が蘇ってくるような素敵な瞬間を呼び起こすことができたら、そんな思いも込められている。この建物の中で何よりも存在感を感じるのは浴室のタイル。今ではまず入手するのも困難な歴史を感じるレトロなデザインと緻密な職人技が目を引く。リニューアルの際、あえてユニットバスにせず、昔のままのタイルと鉄釜で出来た五右衛門風呂を残し、昨年の夏より、お湯を張るスタイルではあるが、実際に浸かれるように整備して、宿泊客に楽しんでもらっている。
ゲストハウスとして営業する1年ほど前から、町家をコミュニティサロンとして開放し、地域に賑わいを創出し、地域の人たちとの交流を促進すべく活用。具体的には、土間マルシェと銘打ち、県内の農家が生産した新鮮な野菜の即売会や、女性起業塾で知り合った人たちに各部屋をブースとして提供し、占いの部屋、アクセサリーの部屋、マッサージの部屋といった形で、自分たちの商品や技能を販売する起業家交流会を開催。土間マルシェのイベントは、今も形を変え月に2回、継続して開催している。「野菜の値段が少し高いと思ったけど、ここで買った野菜を食べたら美味しくて、スーパーの野菜は買えなくなった」との近所の人たちからの褒め言葉が、町家さんのやり甲斐に。土間マルシェは、地域に溶け込むことを目的に以前は町家さんが主催して行っていたが、現在はNPO法人アグリファイブが主催し、毎月第1と第3木曜日の午前中に、初華の1階で開催されている。
オープンから1年余りが経過し、宿泊客の7割は日本人、3割が海外からの旅行者。外国人は当初欧米系の人が多かったが、最近はアジア系の人が増えてきているとのこと。外国人は好奇心旺盛で、金沢のいろんな面を楽しみたい、体験したいと思って訪れるため、連泊するケースが多い。「スマートな接客は求められていないかもしれません。上手くいかないやりとりも楽しんでいただいているのかな。」という町家さん。
言葉が通じなくて苦労することもあるが、身振り手振りと誠意を持って対応することで、最終的には大満足して帰ってもらえているようだ。宿泊客の大部分はBooking.comを介しての予約。1日1組限定、素泊まりのゲストハウスのため、食事は外に食べに行くか、コンビニやデパートで買ってくるか、ミニキッチンで自炊するかのいずれかとなる。予約が入った段階で、その人が金沢でのどんな滞在を求めているのか、その目的を可能な限り事前に聞き、その人に応じた金沢の楽しみ方、歩き方、美味しいお店等々を町家さん流で提案している。夫婦だけといった少人数の場合は、駅まで迎えに行き、荷物を預かり、最初の目的地まで送るといった臨機応変な接客も行っている。これまでのところ、家族連れの宿泊客が多く、1棟貸し切りのため気兼ねなく泊まれるのが好評の理由のよう。「親戚の家に泊まりに来る感覚で気軽に来てもらえたら嬉しい」と町家さん。
これからゲストハウスや民泊ビジネスに取り組みたいと考えている人たちが増えてきていることから、自らのゲストハウス運営をモデルとして、そうした人たちの開業を支援する仕事にも取り組みたい考えだ。それによって開業した人たちとのネットワークを活かしたビジネスモデルを構築していくことを思い描く。例えば、一人で始めたばかりの時に人を雇うことは難しいし、自分が病気になった時はどうしようといったリスクがある。そんな時にこのネットワークができていれば、持ちつ持たれつの関係でカバーし合うことも可能になるし、何人かで1人を雇うということも有りだ。「店舗の数を増やして売上を伸ばすことより、一緒にやりたい人を応援することで、同じ輪が広がり、みんなで楽しい人生が送れるとの考えで、一生の仕事と捉えて余裕を持って取り組みたい」と、無理をしない商いを目指している。また、宿泊客の中には石川県への移住を考えている人もいることから、行政と連携しながら県外の人を石川県に呼んでくる仲介役も果たせたらという思いもあるようだ。開業してまだ日は浅いものの、金沢が好き、石川が好き、そんな思いを持った人たちとのご縁の輪が、少しずつ少しずつ広がり始めていることを肌で感じながら、生き甲斐、やり甲斐のある仕事として確かな一歩を踏み出した町家さんである。
店名 | 初華 |
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住所 | 金沢市野町3-17-1 |
TEL | 090-2839-5770 |
URL | http://machiya-uica.com |