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能登の里山に惚れ、東京から移住した若者が 三井町の魅力発信に住民と共に奮闘ー(株)百笑の暮らし

印刷ページ表示 更新日:2018年11月8日更新

(株)百笑の暮らし

タイトルバナー

近年、都会から地方都市へUIターンする移住者が増加傾向にある。石川県においてもいしかわ就職・定住総合サポートセンター(ILAC)の活動の成果もあり、2016年からの3年間で818人(18年9月末現在)が石川県に移住してきている。こうした中、2014年に東京育ちの男子大学生がゼミで訪れた能登の魅力に惹かれ輪島市三井町に移住。今では地域に賑わいを創出する牽引役として活躍する(株)百笑の暮らし代表取締役の山本亮氏がその人である。山本さんの能登移住ストーリーとは。

里山への移住を後押しする原体験

山本亮さん神奈川県で生まれ、東京・世田谷で育った山本さんにとって、忘れがたい原体験がある。子供の頃、夏休みになるとほぼ毎年、母親の実家がある秋田県能代市に帰省していた。コンクリートジャングルの中で生活している山本少年にとって、山、川、田圃といった自然に囲まれた田舎の魅力を脳裏に焼き付ける体験となっていた。こうした体験が、大人になって三井町の里山への移住を決断させる伏線になっていたであろうことは想像に難くない。

 

 

 

 

 

 

東京農業大学へ進学

山本さんが通っていた高校には、水辺に生息する植物や昆虫のためのビオトープがあり、日頃から環境問題を身近に感じ、生き物と人間が共生できる環境を創り出すことができることに興味を覚える。そんな折り、童謡の「春の小川」で歌われている小川が地元の渋谷区を流れる渋谷川の支流であること、そして、その渋谷川再生に向けた取り組みが行われていることを知る。その取り組みについて調べていくうちに湧いてきた自然と人が共生できる環境づくりを学びたいとの思いから東京農業大学に進む。

大学のゼミ合宿で三井町へ

山本さんが所属したゼミの麻生恵教授は、農村景観の世界では第一人者的な権威で、輪島市の白米千枚田が国の名勝に指定された際の景観検討委員会のメンバーでもある。そうしたことから、輪島との縁があり、ゼミの合宿先が輪島市三井町に決まる。山本さんは20歳の時に初めてその合宿に参加し、三井町を訪れる。東京駅を夜10時に出発する夜行バスに乗り、金沢駅に午前6時に到着、輪島行きのバスまで2時間あまり待ち、それに乗って到着したのが、集合場所に指定されていた「茅葺庵 三井の里」。早速建物の中に入ると、縁側から見える里山の田園風景に圧倒される。囲炉裏を囲みながら地元の人たちが作ってくれた昼食をとり、ゆっくりと流れる時間と空間に癒される。「その時点では、田舎はいいなぁと思ったぐらいで、移住することは全く考えていなかった」と述懐する。


茅葺庵 三井の里 内観ー2

三井町の景観特徴を卒論に

その後、大学の休みを利用し、在学中に6回あまり三井町を訪れ、卒業論文も三井町の景観をテーマに書いたという。麻生教授曰く、「三井町の景観は、田圃と家と山の土地利用に統一感があり、山の高さと平地の広がりのバランスが良くて安心する」と。その講評を受けて、どんな構造だと人が安心するのか、いろんな視点から学生にアンケートを取り、どのような山の広がり、平地とのバランスだと人は安心するのかを調査する。三井町の場合は、首を上下することなく、平地・田圃・山が一望でき、山に囲まれている安心感がありつつ、同時に空も見ることができる開放感があることで、閉塞感がなく安心につながるといった趣旨の卒業論文を提出して卒業する。

三井町の景観

移住を決意させたお年寄りの言葉

三井町に滞在していたある時、地元のお年寄りから「都会の人はお金がないと何もできないけど、わしらは里山があるから食べ物には困らない。だから貧乏でも人に優しくできるんだよ」との言葉を聞き、すごく格好いいなぁと思うと同時に感銘を受け、自分もそんな生き方をしたいと痛感し、三井町への移住を考えるように。東京に戻り、両親にその思いを伝える。「実は両親もほぼ同時期に長野に移住しています。両親はセミリタイアしてからの移住で、体力気力面でなかなか大変だった姿を目の当たりにしていたため、移住するなら若いうちに行き、自分のスキルが通用するのか、仕事があるのか、その土地の生活に馴染むのか、実際にやってみないと結論が出ないと思い、27歳の時に移住する決断をしました」と振り返る。とはいえ、いきなり移住したわけではなく、その前段階の準備期間として、まちづくりのコンサルタント会社で5年間働き、農業スクールにも通い、農業の勉強もするなど周到な準備をした上で行動に移していることを忘れてはいけない。山本さんが移住に向けて準備を進めていたタイミングで、輪島市が地域おこし協力隊の隊員を募集していたことから、早速手を挙げ、市から与えられた輪島米物語というキューブ状の箱に入ったお米のブランディングや販売、門前での即売市の運営に奔走する日々が始まる。

「茅葺庵 三井の里」の指定管理者に

地域おこし協力隊の期限が終わる3年目に、「茅葺庵 三井の里」の指定管理をしていた地域外の業者が、次年度は応募しないことを知る。地域外の業者が運営していたこともあり、地域とのつながりが希薄になっていた上に、山本さんにとって初めて三井町に来た時の思い出の場所であり、なおかつ自身の結婚式も挙げた場所が、利用者が少なく寂しい状態になっていたことから、自分が手を挙げて、自分の手で再生させることを決意する。幸いにして他の応募者がいなかったため、無事に輪島市の審査会を通過して指定管理者に。山本さんは、学生の頃から何人か集まると、いつの間にか集団の中心にいるような人懐っこさを持っており、その雰囲気が地域のお年寄りにもスムーズに受け入れられている鍵のように思える。山本さんの情熱や人柄と、三井町を活性化させたいとのポジティブなエネルギーを持った地元の人たちの熱意とがうまく掛け合わされ、その相乗効果が今日の成功につながっていると言っても過言ではない。

お食事処「茅葺庵」のランチは大人気!

お食事処「茅葺庵」のメニューは、地元で収穫された食材をメインに、スタッフのベテラン主婦による田舎料理を盛りつけた里山まるごと定食(1,300円)、管理栄養士とのコラボによる山本さん特製のあごだしと谷川醸造の味噌が隠し味の能登里山カレー(500円~、トッピング多数あり)、おにぎり定食(500円)が看板メニュー。窓越しの里山の風景に癒されながら食す里山料理は最高の贅沢!!!玄関横の釜で炊きあげたほくほくと美味しい三井のご飯をご賞味あれ。田舎料理=田舎臭い、量が多い、味がくどいというイメージを一新させるべく、美味しい料理を少量ずつ、品数豊富に、カラフルな盛りつけを心掛け、今流行のインスタ映えする見事な仕上がりに。9月の三連休にはランチを求めて1日70人が来店したという人気ぶり。ゆっくり食事したい方は平日の昼間がねらい目。


里山まるごと定食 メニュー

奥さんがくつろぎ処を運営

山本さんは東京出身の女性と結婚し、夫婦で三井町暮らしをしている。30年7月には子供が生まれ、現在は育休中だが、奥さんが「人がホッとできる場所づくりをしたい」と一念発起し、以前から興味のあったセラピストの勉強を東京でし、山本さんの心強いパートナーとして、完全予約制のくつろぎ処を茅葺庵で運営。能登産の椿・クロモジ・能登ヒバのオイルを使ったオイルトリートメントを施術し、観光客や地域の女性にとって新たなくつろぎスポットになっている。

里山まるごとホテルの実現に邁進中

次なるテーマとして取り組むのが、里山まるごとホテル構想である。これは「茅葺庵 三井の里」をフロント兼レストランと位置づけ、三井町の里山の中に数カ所の離れ的な宿泊施設を点在させ、三井町の里山を一つのホテルに見立てるというもの。なおかつ、里山サイクリングや町内の工房での仁行和紙づくり体験なども組み合わせ、ゆくゆくは三井町だけに留まらず、輪島市内の魅力あるお店に送客して食事や買い物をしてもらうといったことも想定している。

蘇った茅葺庵を拠点に三井町の魅力を発信

内観-2手入れが行き届かない状態になっていた茅葺庵だったが、山本さんをはじめスタッフの人たちが大掃除をし、隅々まで磨き上げたところ、建物が息を吹き返し、リフォームしたかと思うほど輝いている。「昔の建物は手入れさえしてあげれば、それに応えてくれ、生き生きと蘇ってきて、建物が喜んでいることを実感しています。この建物自体が持っている空間力を十二分に感じてもらいたいですね」と笑顔で語る。小さな一歩を積み重ね、山本さんが地域おこし協力隊時代から取り組んできた「百の笑いがある里山づくり」の思いを社名に込め、(株)百笑の暮らしと命名。いろんな人たちとのつながり、交流の輪を少しずつ広げながら、三井の里山の魅力を発信するとともに、三井の里山や、そこに暮らす人たちのことが大好きなファンを増やしていくことに日々邁進中。老若男女あらゆる世代の人たちが、三井町を訪れることで心底くつろげ、『能登はやさしや土までも』を体感できる里山まるごとホテルが実現する日もそう遠くなさそうである。

店舗情報

外観

商号 (株)百笑の暮らし
代表 山本 亮
住所 輪島市三井町小泉漆原14-2
TEL 0768-26-1181
URL http://www.satoyamamarugoto.com/index.html