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日々の移動販売を通じて穴水に暮らす人々を支え35年ー渚水産

印刷ページ表示 更新日:2018年11月19日更新

渚水産

渚水産タイトルバナー

高齢化が進む地域では、足腰が弱り歩くのが不自由、移動手段がない、近くに商店がない等の理由で、日々の買い物に行けない、いわゆる買い物難民と呼ばれるお年寄りが増えている。能登・穴水町もそんな地域の一つであるが、平日の朝9時前になるとお年寄りが穴水町商工会の前に三々五々集まってくる。お年寄りが到着を待ちわびているのは、平日(水・祝日を除く)の朝に必ずやってくる渚水産の移動販売車。35年前から移動販売で地域住民をサポートしている渚水産店主の北川博幸氏にお話を伺った。

家業は継がず魚屋として独立

北川博幸さん北川氏の父は材木商と不動産業を、母は旅館とドライブインを経営していたが、自分で新しい事業を始めたいと考え、いろいろ思案した中から、魚屋なら海が目の前にあるこの土地で長く商いできるだろうと、昭和58年にこの道へ。当時の主婦は、スーパーへ行って魚を買うのが一般的だったが、その一方で、昔から荷物を担いで行商して回るおばさんたちもいたことから、車での移動販売も成り立つだろうと考え、軽トラックに七尾港で仕入れた魚を積んで移動販売を始める。鮮度が命の魚だけに、午前中に売り切らないと魚が傷むことから、朝から昼前までに回りきれる町内の範囲を移動して販売した。それからしばらくし、穴水から珠洲へ通じる能登縦貫道路が開通したことで、親が経営するドライブインの前を通る車の通行量が激減する。旅館もドライブインも閑古鳥が鳴くようになったため、いずれの商売も閉め、母と二人で移動販売をすることに。

 

 

 

母と二人三脚で移動販売の基盤を固める

当時、北川氏はまだ二十代と若かったため、移動販売で大きな声を出してお客さんを呼ぶのが恥ずかしかったそうで、母親がお客さんを呼びに回り、北川氏が魚を計って売る形で役割分担。そんな親子での移動販売が2年余り続く。「1年目は思うように売上が伸びず苦労したが、2年目からはお得意さんができ始め、安定した商売ができるようになった」と述懐する。そこで、事業を拡大するために2トンの横開きの冷凍車(当時約800万円)を導入したいと思い、銀行に借入の申し込みに行くが、商売の実績がまだなかったことから、どこも首を縦に振ってくれなかった。それならばと北川氏は、日々の売上金40万円前後を毎日地元の信用金庫に入金に行くことを続けたところ、銀行から「毎日来られなくても週に2回ほど集金に伺いますよ」と言ってもらえるようになり、日々の地道な努力が信用につながり、借り入れすることができた。

魚の移動販売から小さな移動スーパーに

移動販売を始めた頃は、バス停、廃郵便局の跡地、集会所の前などでお年寄りが十人あまり待っていたという。到着すると、露天市のように商品をその場に広げ、販売し終えると片づけて次の場所へと移動。その他にも、まとまった人数が働いている縫製工場や電子部品工場などの昼休みをめがけて立ち寄り販売した。最初の頃は、自分の移動販売車から買ってもらうために、お買い得な目玉商品を作ったり、集まってきたお客さんに飴を配ったりしてファンづくりに努めた。やがて、魚だけでなく、パンや菓子、日用雑貨なども積み込み、小さな移動スーパーとして浸透していく。その当時は、水槽に魚をたくさん積んで回っていたそうだが、時代の流れと共に魚を捌ける主婦が少なくなると同時に、一人暮らしの老人が増え、昔に比べると消費量が減ったことで、自ずと積んで行く魚の量も減ってきている。そのため、移動販売の売上に占める魚のウエイトは2割程度とのこと。近年では、お年寄りからの日用雑貨を購入して届けて欲しいといった要望に応えるため、買い物代行的なこともサービスで行い、買い物に行くのも大変なお年寄りから喜ばれている。


移動販売 移動販売

たまたま作った干物が人気商品に

移動販売で残った魚を勿体ないからと干物にしたところ、常連客に好評だったことから自家製干物として商品化。現在では一般家庭だけでなく、飲食店向けの卸業務もあるため、干物や刺身を専門に製造するスタッフ3人が朝から仕込みに追われている。中元、歳暮の時期になると、県外へ送る贈答品の注文が急増し、客単価も5千円~1万円に跳ね上がる。干物は地元の鮮度抜群の魚を使い、開いた魚を一旦和紙で包んで余分な水分を抜き、珠洲の塩を使って締めたこだわりの一品。十年余り前、東京で開催されたイベントに参加したのが縁で、東京の居酒屋やレストランからも注文があり、以来、年に何回かは自ら東京に営業にも出掛けている。

干物

物産展で商いを学び人脈を築く

商売を始めた頃は、県外にも販路を広げたいとの思いから、加賀能登のれん会に参加し、全国各地で開催する物産展に毎年出店していたが、バブルが崩壊して以降、次第に売上が伸び悩むようになり、出店コストに見合う売上が見込めなくなってきたことから、10年あまり前に出店を取りやめた。しかし、「物産展に参加したことで、クレーム処理の在り方や接客方法、商品の陳列方法など、勉強になる経験をすることができた」と北川氏は振り返る。さらに、何年も物産展に出店していたおかげで、ご縁のできた県外の常連客とは親戚同様の付き合いが30年以上続いていて、「いとこ会」という会までできているとのこと。

新鮮な魚介を提供する「なぎさgarden」をオープン

東京から穴水に移住してきた若者を支援したいとの思いと新鮮な魚を料理して食べてもらうスペースを作りたいと前々から思っていたこともあり、敷地の一角にCafé&炭火焼「なぎさgarden」を開設し、北川氏が共同経営者となって若者に運営を委ねている。平日のランチ、ディナーは地元の人たち、週末のランチは観光客の比率が高い。人気メニューは、1皿2人前の浜焼き(3500円)。夏は浜焼き、バーベキュー、冬は地元穴水の特産品であるカキを炭火焼きで食べられる。穴水の食のイベントである「まいもんまつり」のカキまつりの会場の一つとして、近隣は勿論、金沢や隣県からカキ目当てのお客で賑わい、繁忙期には3回転する忙しさ。


なぎさgarden店内 なぎさgarden

穴水の魅力発信に益々邁進

渚水産

移動販売に始まり、卸業務、なぎさgardenと事業の枝葉を広げてきている北川氏の頭の中には、次なる構想の青写真が描かれている。その一つが、近年のペットブームで需要が高まっているドッグランを整備すること。それができれば、これまでとは異なる新たな客層をターゲットにできる。また、店舗に隣接する敷地にひまわりを植え、見応えのあるひまわり畑を作ることも検討中。穴水に来る目的となる目玉施設を作り、眼前に広がるイルカウォッチングのできる穴水湾との相乗効果で、金沢はもちろん隣県からの新規誘客に結びつけていきたい考えだ。それによって事業が順調に伸び、新たな局面を迎えた段階で、IT関係の仕事に就いている長男が戻ってきて、心強い戦力となってくれることを期待している。ホームページを活用した情報発信、ドッグラン、ひまわり畑などが一体となって、穴水の新しい観光スポットとして注目を浴びる日が今から楽しみである。その夢の実現に向けて、現代の行商人として穴水の人たちに愛される移動販売車を日々運転する奥さんとの二人三脚で、穴水から活気、元気、魅力を発信してもらいたい。

 

 

店舗情報

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商号 渚水産
代表 北川 博幸
住所 鳳珠郡穴水町曽福子8-5
TEL 0768-52-0286
URL http://nagisa.blogdehp.ne.jp/