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橋立をこよなく愛する宮本夫妻が地域活性化に資する人生を体現!ー 加佐ノ岬倶楽部

印刷ページ表示 更新日:2020年1月9日更新

(株)加佐の岬倶楽部

加佐ノ岬倶楽部

いまは亡き硲伊之助(はざまいのすけ)氏の絵画や九谷焼に惚れ込んだ宮本昭夫さんが、若い頃から収集した硲作品の数々を多くの人に見てもらおうと、30年あまり前に、硲作品の愛好家と共に私財を投じて加佐ノ岬に建設したのが硲伊之助美術館である。

その後、加賀市吸坂町(すいさかまち)に美術館が移転したことから、その建物を拠点とする加佐の岬倶楽部が誕生する。ここを拠点に宮本さん夫妻が体現する地域活性化に資する活動に迫る。

 

画家になりたかった昭夫さんが硲伊之助美術館を

昭夫さんの人生を遡ると、根上中学校時代に友禅作家の二塚長生(人間国宝)氏と同級生で、互いに絵を描くことが得意で、画家を目指して競い合う。しかしながら、二塚さんの天才肌にはとても叶わないと絵を断念した過去がある。加佐ノ岬倶楽部

そんなタイミングで硲作品に出逢い虜に。県職員になって間もない25歳頃から硲作品に惚れ込み、気が付くと給料のほとんどを作品購入に注ぎ込んでいた。児童会館や障害者施設、養護施設など、一貫して子供たちのサポートに携わり、同じ障害者施設で勤務したことが縁で啓子さんと結婚する。

 

やがて、収集した硲作品を多くの人に鑑賞してもらいたいと美術館を住宅ローンの借り入れ(一部寄付金)で建設し、受付として雇う一人の職員の給料を捻出するため、カフェを併設し、その売上でカバーできればと考える。「実際には、自分の給料と家内にも迷惑をかけながら、赤字をカバーしてきて、ここへきてようやく見通しが立ち始めたかなぁ。」と昭夫さんは苦笑する。加佐ノ岬倶楽部

 

 

 

 

 

 

橋立を愛する啓子さんが北前船の里資料館を

妻の啓子さんは橋立生まれで、物心ついた幼稚園の頃、近所にある大きなお屋敷で、頻繁に競り市が開かれている光景を見ていた時に、立派な雛人形が何体も売りに出されている様子を見て、「自分は買ってもらえなかったのに、どうしてこんなに売られていくのか不思議だった。」と述懐する。

そんな光景を何度も目の当たりにし、これは何とかしないといけないと子供心に思い、小学5年ぐらいの時に「北前探偵団」を結成し、空き家になったお屋敷を測量するなど、調査の真似事をする。

中学に入ると、社会の先生から、山中節が橋立の人たちが大勢湯治に行っていたことに由来する民謡であることを教えられる。高校になると、北前船の研究者である牧野隆信先生が主催する郷土研究部に入り、先生の調査に同行していたそうだ。

大人になり県職員になった頃、またお屋敷の競り市が行われているのを目にし、こんなことをしていたら貴重な財産が散逸してしまうとの危機感に駆り立てられ、牧野先生を引っ張り出し、自分と同年代の橋立の若者に声をかけ、北前船の資料館建設に向けて奔走する。北前船の里資料館

そうした地元の人たちの熱意が行政に伝わり、加賀市が屋敷跡を購入整備し、現在の「北前船の里資料館」が誕生し、国の重要伝統的建造物群や日本遺産に指定されるまでに。

「私たちの活動で、建物を保存するところまではできましたが、これを橋立町の活性化につながるように活用できなければ意味がなく、それを実現させることが私の願いです。」と啓子さんは熱く語る。

 

音楽療法で患者さんにやすらぎを

啓子さんが県の知的障害者施設で保育士として働いていた時に、じっとしていることができず動き回っている発達障害の子供たちに出会う。

いろいろ取り組んでみた中で、音楽を聴かせることで、次第に落ち着いてくることを知る。当時はまだ日本音楽療法学会はなかったが、日本で音楽療法の草分け的存在だった加賀谷哲郎先生に教えを請う。

知的障害児入所施設等で23年間勤務した頃、世間では老人の認知症が社会問題化し始めていた。その時に、加賀市内の病院が認知症対応の病棟を設置し、時を同じくして老人保健施設も整備されたことから、それまで勉強してきていた音楽療法の技術を認知症の人たちにも応用すべく本格的に取り組む決意をし、県を退職。


音楽療法1

石川県では第一号の日本音楽療法学会が認定する音楽療法士となり、その後、母体となる日本ミュージックケア協会を設立し、活動を続けている。音楽療法の一例を挙げると、発達障害で落ち着きのない子供たち、自閉症の傾向があって落ち着かない子供たち、集団参加ができず社会性に欠ける子供たち、椅子にじっと座っていられない子供たちに音楽療法を用いることで、1時間はじっとしていられるように症状が改善されるという。音楽療法2

 

 

 

 

 

 

音楽療法士の育成に奔走

音楽療法3音楽療法に使われる曲は、クラシックもあれば、ビートルズもあり、演歌もあるが、音楽療法のために特別に作曲された曲もある。

これらは、加賀谷先生が「貧困のあまり感情を無くしてしまった子供たちに音楽こそが心を豊かにしてくれ、ケアすることができる」と、考え出した音楽を使ったメソッドである。

聴覚で聞いた音が大脳の運動野に伝わり、自然に体が動くように、発達障害児や認知症、脳卒中の患者さんたちに必要な動きを誘発していくように考えて作られた曲の数々がメソッドとして確立されている。

音楽療法4そうした曲を使って、日本ミュージックケア協会が認定するミュージックケアワーカー(音楽療法士)を育成する研修を実施し、今では全国に宮本さんのお弟子さんが3000名あまり活躍している。福祉や教育、医療の現場に則してできあがってきたメソッドだけに、どこの施設で使ってもすぐに反応が見て取れることから、国内だけでなく、中国や台湾へも音楽療法を広めるために出向いている。令和元年9月には第23回ミュージックケア協会の全国大会が金沢で開催されるなど、宮本さんが始めたミュージックケアの輪が大きく広がってきている。

 

 

 

 

お年寄りのために移動スーパーを

かも丸くん車を持たない高齢者にとって買い物の足がないことは不便であることから、買い物弱者のお年寄りの役に立ちたいと、移動スーパーを始めることを思い立つ。

最初は苦労の連続で、赤字が続き、1台目の軽自動車の購入には補助金を使えなかったため、全て借金だったが、2台目を導入する際には県の補助金で賄え、現在は3台に増え、加賀市全域を毎日回っている。

今では約600軒の得意先ができ、ご主人が毎朝、小松市の公設市場に買い出しに行っている。会員制ではなく、誰でも買うことができる移動スーパーは、お客さんの自宅の玄関先まで訪問するため、歩くことが不自由なお年寄りにも喜ばれている。

買い物だけでなく、独居老人の見守りの役割も果たしていて、地域にとってありがたい存在に。さらにこれから先を見据え、ネット通販のように、欲しい物を注文してもらい、それを自宅まで届けるというサービスの必要性も視野に入れている。

 かも丸くん2 

地域のために家族で邁進

今は長男が、移動スーパーかも丸くんの出発に必要な商品を積み込む準備作業ならびにカフェの営業を担当し、頼れる後継者として育ってきている上に、次男は理学療法士として福祉分野の仕事に携わっていることから、心強い限りに違いない。子供の頃から橋立を愛し、橋立の町が寂れていくことを真剣に憂い、北前船の資料館設立に奔走し、今も地域のお年寄りのために移動スーパーを走らせ、音楽療法によって障害のある子供たちや認知症を患う高齢者をサポートし、国内はもとより海外にも指導に出掛け、「やりたいことが一杯ありすぎて人生が足りない」と悔しがる啓子さん。その言葉を満面の笑みで受け止める昭夫さん。地域活性化に資する夫妻の人生マラソンのゴールに向け、二人三脚で力強く走り抜けてもらいたい。

 

加佐ノ岬倶楽部 加佐ノ岬倶楽部

店舗情報

加佐ノ岬倶楽部

社名 (株)加佐ノ岬倶楽部
代表 宮本 昭夫
住所 加賀市橋立町ふ23
TEL 0761-75-1627
URL http://www.kasanomisaki.net