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一口食べると思わず笑顔がこぼれる 幸せになる和菓子づくり  (有)行松旭松堂

印刷ページ表示 更新日:2020年12月28日更新

(有)行松旭松堂 

行松旭松堂

天保8年(1837年)創業の小松市内最古の和菓子店『行松旭松堂』(ゆきまつきょくしょうどう)。
183年の長い歴史を刻んできた老舗にも、新型コロナウイルス感染症は大きな陰を落とした。
7代目の行松宏展専務が、コロナ禍の難関突破に向け、家族一丸となって開発した『おけいこばこ』なる新商品が、新たな商いの可能性をもたらすことに。

 

茶道教室での自社菓子への酷評が転機に

老舗和菓子店の7代目として生まれた宏展さんは、日曜日も祝日も休むことなく、早朝から夜遅くまで仕込みや菓子作りに追われる親の姿を見て育ち、「自分は絶対に後は継ぎたくない・・と思っていた。」と述懐する。
そんな宏展さんに転機が訪れる。金沢大学に進むと、和菓子に囲まれて育ったことが影響したことは否めず、小松市内の茶道教室に通い始める。それまでお茶会には、他の店の上生菓子が使われていたが、実家が和菓子屋の息子が習い始めたことに先生が配慮し、初めて参加した日のお茶会に自社の上生菓子が供された。
通常、お茶会は道具や茶碗、掛け軸などの設え、菓子を褒めることから始まるもの。ところが、行松旭松堂の菓子に対し、「甘すぎる、色味が悪い」等々さんざん酷評される。自分が作った菓子でもないのに酷評されたため、「父親や職人にはそのことは一切言わず、自分が作ってやろうと奮い立ち、修業することを決意した。」と振り返る。

行松旭松堂 行松旭松堂  

 

自分の作った菓子で大失敗し、職人として覚醒

この出来事が転機となり、和菓子のことを何も知らず、作ったこともない素人同然で京都に修業に行くことに。修業先を伺うと、「どこの店ということよりも、日曜日が休みの店を探して行きました。」と苦笑する。
5年あまり修業を積み、27歳の時に地元の小松市に戻る。その事を知ったお茶の先生が、月心寺のお茶会の席主を務めることになり、行松旭松堂に栗きんとんの注文をくれる。意気に感じた宏展さんは、「日本一の栗きんとん」とお客さんに言わせたいと思い、日本一高い大粒の京都の栗と日本一高い砂糖である和三盆を仕入れる。日本一の材料を使えば日本一の菓子が出来上がると単純にそう思ったのだ。実はそうではない。栗は大きなものより小粒な方が甘くて味がしまっている。砂糖も和三盆はとても癖があり、栗の風味を殺してしまう。そうした知識もないまま、いつもどおり長時間炊いて火を入れたところ焦げ茶色のさつまいものような色味の栗きんとんになり、それをお茶席に出してしまう。
お茶の先生から「あんたなんてことしてくれたんや・・」と叱責されるはずが、一言もなかったことが、かえって宏展さんを覚醒させる。全国から栗を取り寄せ、産地によって栗の風味も色も水分量も全て異なることや、同じ能登の栗でも9月~10月の収穫する時期で全て異なることを知る。砂糖一つとっても、上白糖だけでも100種類以上あり、全て味が違うことすら知らなかった。どんなにいい材料が揃っても職人が知識と経験を踏まえた上で、思いを込めて作らないといいお菓子はできないことをこの時に痛感する。
素材を吟味し、その素材を生かす砂糖を選別し、何度も試行錯誤を繰り返し、餡を炊きあげる最適なタイミングを導き出し、ようやくできあがった栗きんとんをお茶の先生に改めて食べてもらった時の「美味しい」の一言が、菓子職人としての真のスタートとなる。​

 

小松に来ないと買えない菓子屋に

昭和の時代は、百貨店に商品を出していることがある意味ステイタスであったが、20年あまり前に自分なりの栗きんとんができたことと、「大阪の百貨店で売っているのならお土産にならない」とお客さんに言われたことで、各地の百貨店に出すのを止める。和菓子も鮮度が命であり、出来たてが一番美味しいのは間違いないことから、可能な限り出来たてを提供したいとの思いからだ。
今は、本店と小松空港と小松駅の売店のみ。お客さんが取りに来る時間に合わせて出来たてを提供し、お茶会の場合は、作って持っていくのではなく、現地に行って作ることを実践している。
行松旭松堂の「鮮度が命」の菓子作りに対する姿勢が口コミで広がり、県内はもとより東京や京都からもお茶会のお菓子を依頼されるまでに。
「自分に絵心があるかどうかは何とも言えませんが、見るモノ全てをお菓子と関連づけ、この器にはどんなお菓子が合うか、外食で見た料理をお菓子で表現できないか、そんな思いで目に入るものを捉えるようになっている。」と楽しそうに語る。何よりも季節感が大事なことから、散歩は欠かさず、木々の紅葉の進み具合いを見ながら、季節を少しだけ先取りした菓子づくりを心掛ける。​     


行松旭松堂 行松旭松堂

和菓子を食べてもらう、知ってもらう『和菓子づくり教室』

遡ること15年あまり前、建築関係の知人から「新築の家が10軒あると9軒は畳のない家だ」と聞かされる。畳がなければ床の間もなく、日本の伝統文化が無くなってきていることを痛感。このままでは自分の店もなくなるとの危機感を抱き、まずは和菓子を食べてもらう機会を設けることを思い立ち、材料費だけで和菓子づくりを体験できる「和菓子づくり教室」を始める。
学校、公民館、婦人会、個人宅とあちこちへ出掛け、和菓子の美味しさを伝播することに努めた。
それが口コミで広がり、平成30年には年間100回を超すまでになったが、今年はコロナ禍でゼロに。「こうした出張仕事の魅力は、お客様に直接『ありがとう』『おいしかった』との言葉をもらえることが何よりの励みになり、工場で黙々と作業するのとは異なり、大きなやり甲斐にもつながっていることに途中から気付かされました。」と顔をほころばす。

行松旭松堂 行松旭松堂

 

震災復興支援がライフワークに

東日本大震災が発生した時は他人事だったものの、しばらく経って東北にいる茶道の知人に連絡したところ、家が流され、避難所の体育館で生活していることを聞かされる。何が欲しいか尋ねてみると、「お金、その次に抹茶とお菓子が欲しい。」と。家を流され、家族を亡くした人たちが、同じ被災者に呈茶している時に、自分は遠く離れた土地でのうのうとしていていいのかと気付く。そこで、被災者の人たちと一緒にお菓子を作れる場所を用意してもらい、菓子屋仲間3人で出掛けたのが最初である。
「いざ行ってみると、避難生活をされている皆さんから感謝され、何かして差し上げようと思って出掛けたのに、自分たちが被災者の方々から戴くものが多かった。」という。2度目は3人が1人ずつ誘い6人で行き、その次は6人が1人ずつ誘って12人で行くと増やしていく。
震災復興支援の菓子『絆』は、当初は売上の全額を寄付するつもりだったが、東北の知人から「それでは長続きしないし、干支が一回りする12年は続けて欲しいから、せめて箱代だけは取って欲しい。」と言われ、売上の一部を寄付する形に。
東日本大震災だけでなく、熊本地震や広島の水害現場にも出向いて菓子作り教室を行ってきている。「岩手県の商業高校に行った時に、女子高校生から『石川県の人たちにしていただいたことは一生忘れません。私たちは、次は困っているだれかにしてあげたい。』と挨拶され感動しました。その子たちが熊本地震の時に、熊本のお菓子を大量に仕入れて販売してくれ、この子たちが大人になったら日本も捨てたものじゃない、いい国になると痛感し、支援しに行った方が得るものがすごく大きく、一度行くと人生が変わり、家族がまわりにいることが有り難いと思えるようになります。」としみじみと語る。こうした経験が、宏展さんの菓子作りの『心』に多大な影響を与えていることは言うまでもない。

行松旭松堂 行松旭松堂 
 
 

コロナ禍で閉店も考えた中、長女の発案で再起

令和2年の春先から全国に広がったコロナ禍で、同店も1ヶ月あまり休業を余儀なくされた。誰も菓子を買いに来ない日が続き、店を閉めようかと思い詰めていた時、長女から「お父さんの仕事は、和菓子でお客さんを笑顔にすることではないの?」と言われ、その通りだと思い直し、医療関係者を激励するため小松市民病院にかしわ餅を500個を寄付して喜ばれる。
それに続いて、「自宅で和菓子づくりができて笑顔になれるキットを作ったらどう?」とアドバイスされて生まれたのが『おけいこばこ』である。(和菓子作り3つ分の材料、お手本1つ、必要な道具が入っていて、内容は月替わりする)何回も改良を繰り返し、巻紙に菓子づくりへの思いを書き、パッケージにもこだわった。説明書の文字が小さくて読めないとのお年寄りの声を受け、作り方をわかりやすく解説した動画も制作し、SNSで見られるようにするなど、手が込んだ仕掛けにしたことで、人気に火がつき、5月に販売を開始してすぐにヒット商品となった『おけいこばこ』は、リピートー率も高く、お客さんからの嬉しい反響の手紙が多数届いている。
 

行松旭松堂 行松旭松堂

 

コロナ禍になってネットの力、可能性を実感

SNSを見て『おけいこばこ』を購入したお客さんから、「全国の有名な抹茶で、百貨店で売ってないものを20グラム(約10杯分)だけ売って欲しい。」とお客さんから要望が届く。通常は100グラム単位で販売されており、これだと50杯分になるが、一人でそんなには飲まないことから、お茶問屋に無理を言って、月替わりで異なる抹茶を20グラムパックで販売し始める。すると、茶筅を売って欲しい、茶碗を売って欲しい、銘々皿を売って欲しいとSNSを通して注文が入るようになった。銘々皿も備前焼、萩焼、唐津焼と月ごとに変えてアップしたところ、最短7分で用意した100枚が完売するほどの人気企画に。

また、お客さんから銘々皿の作家の話を聞きたいとの声があり、作家の方に交渉し、30分間WEB会議システムで無料動画を配信したところ、好評を博し、動画に出演した作家さんにもお客さんが付き、別の高価な作品が売れるという嬉しい相乗効果も。

作り手の思い・心が伝わる菓子づくり

従来の来店客は、年配の人たちがほとんどだったが、『おけいこばこ』のおかげで地元だけでなく、福井や富山からも若い女性が来店するようになり、客層が変わってきているという。
「伝統は革新の連続であり、今やっていることが将来に伝統となって残っていくわけで、震災復興の取り組みで様々なことを経験させてもらいました。
自分の時代の革新はここまでかなと思っていましたが、コロナ禍になって『おけいこばこ』に取り組んだことで、また違う時代が見えてきたように感じています。」と顔をほころばす。家業に入って23年を経て、自分なりの地に足が着いた行松旭松堂のスタイルが確立してきている。
好きこそものの上手なれと言われるように、「和菓子は自分にとって大好きな趣味で、常にお菓子の向こう側のお客さんを見て商いをしていきたい。」と明言して憚らない。コロナ禍で始めた『おけいこばこ』をきっかけに、行松旭松堂の商いに新たな可能性の扉が天賦されたようだ。

店舗情報

行松旭松堂

行松旭松堂

 

社名 (有)行松旭松堂
代表 行松宏展
住所 小松市京町39-2
TEL 0761-22-3000
URL

https://yukimatsu.mystrikingly.com
https://www.instagram.com/yukimatsu_7daime/