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家族の絆を深め、気持ちを後押しする  心をつなぐ「くるま家」に邁進!!   くるま家 八

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くるま家 八

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小松市を通る国道305号線の符津本町交差点の一角に、介護・ライフスタイルに寄り添う「くるま家 八」というユニークな看板を掲げる自動車販売店があります。くるま社会の田舎では、年齢を重ねると足腰が痛くなり、車に乗ることすら億劫になりがちです。そんな人にちょっぴり便利な車を提案することで、ポジティブな日々を後押しし、たっぷり思い出を作ってもらいたいと、2017年に同店をオープンした東野慎哉氏にお話を伺いました。

東野慎哉氏の生い立ち

小学校から高校までサッカー少年として成長した東野慎哉氏は、大好きなサッカーでプロ選手になることを秘めたる目標として成長し、社会人サッカーチームに所属。プロテストを受ける直前の試合で足の筋肉が断裂し、夢が絶たれました。その当時はプロサッカー選手ともう一つ、地元で消防士になるという夢があり、専門学校に通いながら3年間地元小松市の試験を受けるも、結果は不合格。その年、プロサッカー選手と消防士の夢が2つも同時に消え挫折を味わいます。将来について真摯に考えた中で、特にやりたい事が見つからず、まずはどんな大人になりたいかと考えました。そこで先輩の会社で電話回線の営業を経験。社会の厳しさを感じたり、お付き合いの中で周りの大人の方がこの社会でどんな気持ちで仕事をしているかを見た時に、なりたい自分を決めました。それからは目的を持って何でも経験をしようと決め、ポンプ屋、ゴルフ場、機械製造、運送、等々さまざまな仕事を経験し、各仕事場で自分なりに目標を決めて転職することを繰り返します。

1その後、リクルートHRマーケティング金沢支社を受けて合格し、そこで社会・会社の仕組みを改めて勉強し、同僚と貴重で楽しい時間を2年間積みます。退社後、現状の自分の力を知る為に先輩の会社でiPhone販売の仕事を1年半あまり経験しましたが当時の自分の力量不足を知り、また挫折。その後は全く知らない業界で興味も全くなかったので、どうせ入るなら業界ナンバー1の会社にと、28歳でGoo-netの運営会社に就職しました。「この時点では、くるま屋として独立することは全く考えていなかった。」と振り返ります。面接時に3年で辞めることを宣言して入社しましたが、結果的に5年あまり福井と金沢で勤務し、ディラー、自動車販売店、修理工場など車に関する人脈が形成されました。

姉と父親を亡くし、仕事に対する意識が変わる

寝る間も惜しんで営業で実績を出して社会貢献・会社貢献をする為に必死に働き、家族も犠牲にして頑張っていたある日、これまで自分のことを最も応援してくれていた姉が病気で他界。応援してくれていた姉に何も恩返しできていないことへの後悔が募り、その日を境に仕事に対する考え方が180度変わります。さらにその翌年、病気療養していた父親も他界したことで、働き方だけでなく、家族に近いところで、家族優先で自分で仕事をすると考えるようになります。姉と父親の介護を経験したこともあり、便利な機能が付いている福祉車両を多くの人に知ってもらい、外出が億劫になっている人たちの背中を押してあげる役に立てるのではないかと思いました。公共交通機関の充実していない地方(田舎)において、くるまは日々の移動手段として欠かせません。とはいえ、老若男女を問わず、病気やケガをしたり、身体に障害のある人にとっては、運転することはもとより、乗り降りすることすらままならない場合もあります。そんな人たちが、外出する気持ちになるよう背中をちょっと一押しするのが、リフトアップシートや車椅子を積載できる福祉車両です。姉と父親の介護を経験し、亡くして感じたこと、姉と父親が自分に残してくれたことを、これからの人生において何か形にできないか、そんな思いから「くるま家 八」を創業することを決意します。


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くるま屋ではなく、人が集うくるま家に

お客さまとの距離をできるだけ近く保ちたいとの思いが強く、くるま屋ではなく、人が集う公民館のような集い処になりたいとの思いを込めてくるま家とし、初めて生まれてきた長男の名前にある八を付け、「くるま家 八」とします。八は縁起もよく、東野氏自身の誕生月も長男の誕生月も8月と、八に強い縁を感じてのことです。とはいえ、福祉車両の専門店としてやっていくほどニーズがないのが現状のため、看板には書いてあるものの、売上全体に占める福祉車両の割合はまだ1割程度。例えば、プリウスを買いたいと来店したお客さまが、助手席が回転して外に出てくるリフト機能が付いたプリウスを見て、これからのことを考えるとこの福祉車両の方がいいな、こんな車もあるんだ、便利だ、と初めて知るケースが圧倒的に多く、最初から福祉車両を求めて来店する人はまだ少なく、これから世の中に浸透していく車種と心得ます。福祉車両は、新車時は特別な機能が付いているため価格は高くなりますが、中古車市場になるとお買い得車が多いそうです。営業面では、SNSの活用にまだ本格的に取り組めていないことから、専門知識を有するスタッフを採用し、これから充実させていく考えです。

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ゼロからのスタートとコロナ禍で苦労の連続

創業から5年目を迎えるが、当初の事業計画からするとかなり苦戦しています。コロナ禍の影響があるとはいえ、福祉車両の認知度がなかなか上がらないため、福祉車両の売上比率が想定していたほど上がってきていないことを憂えています。独立して車屋を始める人は、業界経験が平均で7年以上勤務し、得意客を300人~500人ぐらい持って独立するのが一般的な流れなのに対し、東野氏は得意客ゼロで独立したため、「周囲から笑われ、すぐ潰れると噂されました。」と苦笑。「この5年間、お客様や周りの業者の方に助けられ理想の半分近くはきましたが、やはり10年はかかるのかなぁ・・」としみじみと語ります。当初設定した10年先を見据えた事業計画書の目標に対して、年々顧客数が増えてきている分、緩やかな右肩上がりではあるものの、当初思い描た戦略と売上予想にはまだまだ遠いのが現状のようです。

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生まれ育った地元への恩返しも進行中

5年目の今年は新しいことにチャレンジする決意の証として、新年を迎えたのを機に人生初の金髪に。東野氏が生まれ育ったのは、那谷寺近くの自然豊かなところで、ご多分に漏れず若者が町から出ていく一方で、お年寄ばかりの町になりつつあり、いわゆる限界集落になっていくことに強い危惧を抱いています。そんな思いから、自身が子供の頃にお世話になった人たちに何か少しでも還元できるような活動をしたいと考えています。そう遠くない将来、自分の生まれ育った自然豊かな地域で農業体験ができ、自然栽培の美味しい食事と宿泊ができ、収穫した山菜や野菜の販売など地元のお世話になった方々の雇用創出につながる、人が集まってくる核となるゾーン形成を構想中で、その実現に向け走り始めています。

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      写真はイメージです

「くるま家 八」のこれから

くるま事業については、「とにかく真面目に真摯にお客様と向き合い、顧客満足を追求する商いに徹し、将来的には修理工場を自前で持つぐらいになれれば・・。」と控え目です。「くるま家 八」は人が集まる公民館的な集いスペースになることが目標であり、その中で、日々の生活の足である車に、便利な機能がある福祉車両があることを少しでも多くの人に知ってもらい、その人たちの暮らしの不自由なところを少し手助けしてあげられる、そんな店を目指して邁進中。規模は追わず、東野氏の人間性に惚れ込んでくれる人の輪を広げていく、そんな地道で着実な商いに徹することを自らに言い聞かせています。ネット社会が進展し、何事もネットで完結できるような時代になればなるほど、人と人のface to faceのお付き合い、つながりの大切さを肝に銘じるのが「くるま家 八」の商いの真骨頂。何よりも家族の近くで、家族を感じながら商いができることに喜びと幸せを実感している東野氏でした。

 

店舗情報

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店名 くるま家 八
代表 東野 慎哉
住所 小松市符津町ム103-1
TEL 0761-48-6783