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パン屋一筋48年の両親と長男が七尾から笑顔と友だちの輪を発信! フレンド

印刷ページ表示 更新日:2026年3月25日更新

  

 フレンド

パン屋一筋48年の両親と長男が七尾から笑顔と友だちの輪を発信! フレンド

能登半島地震で大きな被害を受けた七尾市。七尾駅を出て線路沿いの道を左方へ歩を進めると踏切があり、その先に白い外観の何やらオシャレな小さな店舗「たいやき タイラー」が見えてくる。踏切を渡ると、その白い店舗の左手に、七尾市民のソウルフードと言っても過言ではない、手づくりパンの人気店「フレンド」が元気に営業している。地域の人たちに人気のパン屋さんの商いの秘訣を、ご主人の竹本啓(ひらく)さんに伺った。

 

集団就職で大阪へ、いろいろ経験しパンに辿り着く

竹本さんが中学を卒業した昭和30年代、働く場所のない能登から東京や大阪に「金の卵」と呼ばれた集団就職で、親元を離れ働く若者たちの一人として、大阪の某機械メーカーに能登地域から20人余りが就職する。ガスメーターを製造する仕事に1年半ほど従事するも、中卒と高卒で昇給が異なる現実に直面し、同じ仕事をして学歴で差がつくことに嫌気がさし退職。次は何をしようかと思案した中で、スーパーダイエーのトラックで届いた商品を棚に並べるアルバイトを2年余り続ける。やはり、手に職を付けようと思い立ち、町中の小さな和菓子店に弟子入りしたものの、冷静に考えると、これからは洋菓子の時代だと感じて洋菓子の材料を卸す問屋に就職し10年余り勤める。それを経て洋菓子を学ぶためケーキ屋さんに就職。しばらくすると、いやこれからはパンの時代だと思い立ち、町のパン屋さんを何軒かわたり歩き、作り方はもちろんのこと、いろんなパン職人の技を習得する。

パンがずらりと並ぶ パン サラダパンとミックスサンド たくさんのパン

 

ふるさと七尾に戻り、夫婦でパン屋を開店

パン屋で修業を始めて5年あまり経過した頃に、七尾市の現在地の物件が売りに出ているから商売してみないかとの風の便りが耳に入る。失敗するかもしれないが、同郷の奥さん〈市子さん〉と大阪で出逢い、一緒に七尾に戻っていちかばちか商売してみようと説得し、七尾に戻る。「一人では不安だったが、家内がいてくれたことが心強く、一人より二人のチカラだよ。」と竹本さんは述懐する。30歳を目前にまとまった借金をして自分の店を持つ。大阪で先進的な店を見てきたこともあり、七尾で最初の店内からパンを焼く作業風景を見られるウインドベーカリーの店を構える。焼きたてのパンを提供するスタイルは、それまでなかったことから珍しさも手伝ってスタート当初から繁盛店に。店の奥に鎮座しているパン焼き窯は、その当時から苦楽を共にしてきた年季ものの相棒。自分の店を持つにあたり、大阪で修業した師匠から店名は「フレンド」にするよう勧められる。お客さんはみんな友達という気持ちで商いすることの大切さが込められている。

七尾のパン屋さん「フレンド」 手づくりパン

 

精魂込めた手づくりパンが大人気

竹本さんの1日は早い!深夜1時半に起床すると、その日販売するパンの生地作りが始まる。生地を捏ね上げ、一定時間寝かせて発酵させ、発酵を終えた生地で30~40種類のパンの成形作業が黙々と続けられ、同時並行して成形したパンを焼き窯に入れて焼き上げていく。今の時代の焼き窯はコンピュータ制御であり、自動で焼き上がるが、フレンドの焼き窯は昭和の時代の手動の焼き窯のため、全てが竹本さんの職人としての勘が頼り。その日の気温や湿度に合わせて、焼き時間を微調整する長年の経験がモノを言う。およそ5時間あまりかけて全てのパンが焼き上がると、順に陳列棚に並べられ、焼きたてパンの香ばしい匂いが店内に広がる。午前6時に開店すると、待ちわびた常連客がなだれ込み、次々と買い求めて行く。7時を回ると近くの高校の生徒たちが昼食のパンを買い求める大渋滞。8時半を過ぎるころには、棚を埋め尽くしていたパンは跡形もないほどきれいに完売!そんな日々が繰り広げられている。

パン作り 惣菜パン

 

商いはお客さんから教わるもの

開店当初は朝6時半開店だったが、「商売はお客さんに教わって成長し、お客さんがお客さんを呼んでくる。」と昔から言われるが、来店するお客さんから開店時間は遅いよりも早い方がいいと言われ、世の中には仕事の関係で早起きの人も多いことから、さらに30分早めて朝6時開店を四十数年継続してきている。

今でこそ24時間営業のコンビニがあるが、昭和の時代にそんなものはなかったこともあって、早朝の需要を見事に取り込み、連日完売の人気店に。新商品を開発するにあたり、繁盛している他のパン屋を見に行き、人気商品の傾向を把握すると共に、今のお客さんがどんなものを求めているのか、そのニーズを掴むことにアンテナを張り、他の店にないパンづくりがフレンドの真骨頂。様々ある総菜パンは人気のシリーズで、若者の嗜好を捉えた味付けに工夫を凝らしている。

   

 

名物「たまごパン」

新商品が焼き上がると、まずは竹本さん夫妻と誠さんが味見をし、これなら行けるとなると店頭に並ぶが、真のジャッジはお客さん。一度買ってくれたお客さんが、同じパンをリピートして買ってくれれば、その商品はOK。自分たちが美味しいと思っても、お客さんが買ってくれなければ意味がない。フレンドのパンは、近くの高校の売店と七尾市役所の売店に一部納めているが、売上の大部分は店頭販売である。数あるパンの中でも名物なのが「たまごパン」。たまごパンと聞き、パンの中にゆで卵が入っているものを想像したが、そうではなくパン生地の中に卵が入っていて、外皮は程よい食感と甘さがあり、中はふわふわのやわらか生地、この絶妙な組み合わせが世代を問わず大人気。まさに口の中が口福(幸福)になる逸品。

名物たまごパン 中がふわふわの「たまごパン」

 

お客さんの激励に背中を押され、被災から再起

能登半島地震で店内は物が散乱し、パン屋の命とも言える焼き窯の基礎土台に亀裂が入り傾いてしまった。間もなく80歳を迎える年齢であることもあり、奥さんと相談し、店を閉める心つもりになっていた。ところが、誠さんから「辞めたらダメだ。職人で生きてきた人が辞めたらすることがなくなる。」と諭され、常連さんからの「何とか再開して欲しい」、「フレンドのパンをまた食べたい」、「ガンバレ!ガンバレ!」との数多くの激励に背中を押され、竹本さんは県のなりわい再建支援の補助金を活用して、3ヶ月あまりかけて店舗を改修して再スタートする。長男の誠さんが店を手伝うようになっていたことも、安心して再スタートできた大きな要因。47年も続くパン屋さんだけに、お客さんの中には親子三代でお得意さんというお客さんも多く、まさに七尾のソウルフードとして、七尾市民に愛されている。

  七尾にあるフレンドのパン屋さん たい焼き「タイラー」

 

事業承継に向け長男が奮起

竹本さんがやがて80歳を迎えることから、商工会議所のアドバイスもあって、長男の誠さんへの事業承継の準備を始めるとのこと。偶然にもフレンドの隣接地の建物が公費解体で更地になっていたことから、その土地を借りて誠さんが新たな商いをしたいと考え、パン屋として長年の小麦のノウハウを活かせる商売は何かと思いを巡らせたところ、七尾にも能登全体で見てもたい焼き屋がないことに気づく。たい焼きなら原料となる小麦粉は同じ業者から仕入れることができ、原料確保の心配もない。能登で初めてのたい焼き屋なら話題性もある。そうしたことを総合的に判断し、たい焼き「タイラー」をオープンする。事前の読みが当たり、オープン以来連日大盛況で、昼前までに売り切れる日も少なくない人気店に。通常のあんこ入りのたい焼きだけでなく、フレンド仕込みの惣菜たい焼きも人気商品とか。

たい焼き あんこ たい焼き ピザソーセージ 七尾にあるたい焼きタイラー

 

親子が心を一つにし、七尾の活性化に邁進

パン屋とたい焼き屋、全くジャンルは異なるものの、親子で営むことによる相乗効果は想定以上のようで、近隣の子供たちからお年寄りまで、老若男女の憩いのスポットとして定着してきている。七尾だけでなく、能登の近隣地域からも人を呼び込めるだけの魅力あるパンとたい焼きで、七尾に賑わいを創出するとともに、七尾から元気を発信する拠点としての役割も期待できる。フレンドの47年あまりの商いで培ってきた、親子三代にわたる常連客がたい焼きタイラーの常連客にもなり、たい焼きタイラーに訪れた若い世代が、フレンドの常連客にもなる。そしてそのお客さんが、また新たなお客さんを呼んできてくれる。そんな好循環の流れができ始めていることに、心底嬉しさが込み上げてきている竹本さん夫妻の笑顔がフレンドの財産でもある。たい焼きタイラーの支店が金沢市内に誕生するのもそう遠くないような気がしてならない。間もなく迎える50周年、そして100周年に向かってフレンド&タイラーの友だちの輪が、波紋のように広がってくことを願ってやまない。

 七尾にあるフレンド(パン屋)&タイラー(たい焼き)の皆さん
​    竹本 誠さん 市子さん 啓さん

 

会社概要

商 号 フレンド
代 表 竹本 啓
住 所 七尾市藤橋町子部36-1
電 話 0767-53-6254