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犀川に架かる新橋を片町側から渡り、石野外科医院の裏通りを右に入ってしばらく歩くと、豆腐・油揚げの文字が白抜きされた青い幟旗が風になびいているのが目に止まる。昭和の時代まで、町内の商店街に必ず一軒はあったとうふ店も、時代の流れで減少の一途を辿り、今では金沢市内に残る貴重なとうふ店の一つとなった薮内豆冨店である。金沢市千日町で、戦後間もないころから商いを続ける同店の三代目店主・薮内隆司さんにお話を伺った。
昭和二十年代に、薮内さんの祖父が、県内の農家を廻って新米を買付し、それを近隣住民に販売する米屋が商いの原点。その後、とうふ屋に業態転換して今日に至っている。薮内さんが子どもの頃は、早朝から働く両親の姿を毎日見て育ち、小学校の頃には、近所にとうふ、揚げを配達する手伝いをし、作業場でとうふづくりの作業で出た洗い物や掃除も手伝っていたそうだ。当時まだこの通りは、八百屋、魚屋、肉屋などが並ぶ商店街で、同級生たちも親の後を継いでいたことから、自分もやがて後を継ぐだろうと思いながら成長する。高校を卒業すると、地元のスーパー『ニュー三久』に就職し、魚売り場に配属されて数年あまり勤めた頃、高齢の父親を助けたいと思うようになり、スーパーを辞めて家業を手伝うことに。それから父親の下でとうふづくりの修業を積み、数年後に父親が体調を崩して引退してからは母親と隆司さんで店を守り、数年後に奥さんの美奈恵さんと結婚する。

昔は、買物に来る奥さんたちが、鍋やボール持参でとうふを買いに来ていたため、とうふは水に浸しておけば良かったが、30年余り前にスーパーで販売することになったため、とうふをパッケージに入れ、その表面に店名、商品名、成分表示、バーコードを入れる必要があった。そのタイミングで、従来の薮内豆腐店の豆腐の「腐」の文字を「冨」に変更し、薮内豆冨店に改称する。「県内産の安全安心な大豆にこだわり、丹精込めて手づくりしているとうふだけに、「腐」の文字を「冨」に変えることで、大豆が魅力ある健康食品に生まれ変わっていることをアピールしたかった。それにこの方が格好いいかなぁと思って・・」と隆司さんは照れ笑いする。

翌日のとうふづくりのために、前日の夕方ぐらいから原料となる大豆を水に浸け、豆に浸水させていく。水に入れる時間は、その日の気温や湿度に左右されるため、文字通り職人の経験と勘が頼り。それでも近年の夏場の酷暑は、夜間でも30度近い熱帯夜となるため、水温が高くなり、豆が水を吸い過ぎてダメになってしまう想定外の事態も稀に発生する。そうした場合はやりなおすしかない。翌日の午前2時半には起床し、早朝に納品する食堂などに間に合わせるため、とうふづくりがスタートする。とうふの味を左右する原料の大豆は、価格的には高くなるが、県内産の国産大豆のみを使用し、水は水道水ではなく自前で堀った井戸水を使用している。とうふを固めるための凝固剤は、戦後急速に普及した澄まし粉(硫酸カルシウム)を使用。昔は石膏から作られていた澄まし粉も、今は化学的に合成されたものが主流で、ニガリの代替品として使われている。澄まし粉は、水に溶けにくく、豆乳の凝固反応が遅いため、扱いやすく、保水力が高いので、舌触りの良い、なめらかで弾力のあるとうふができあがる。

原材料にこだわり、手づくりのとうふは手間暇がかかっているものの、だからと言ってとうふの販売価格を上げると売れなくなる。同店の場合は、一丁220円で販売しているが、近年の原材料高、光熱費高といった製造コスト高を勘案すると薄利な商売。数年余り続いたコロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻以降の様々な商品やコストの値上がりが大きく響いている。スーパーで大量販売されている、機械で製造される充填とうふが一丁150円~200円の価格帯で販売されていることから、いくら手づくりで県内産大豆を原料に使用しているとはいえ、例えば一丁300円にした場合に、手に取って買ってもらえるだろうか。全てのお客さんに製造工程や原料・水へのこだわりを説明し、納得して買ってもらう売り方ができれば、可能かもしれないが、夫婦二人で全ての作業をこなしている現状では、それは至難の業。利益の出る価格と買ってもらえる価格の大きな乖離が頭の痛い問題で悩みは尽きない。

そうした中で、利益を生み出す別の柱が必要と考え取り組み始めたのが、手づくり惣菜の販売だ。当初は、とうふ屋が作る惣菜だから、とうふや油揚げを使った煮物的なおかずを並べていたが、お年寄りから「煮物はわたしら自分で煮るから、もっとおかずになる肉や魚を使った惣菜を作って欲しい」との要望を受け、今ではハンバーグやフライものなど、品数も豊富で、美奈恵さんが毎日7~8種類の惣菜を手づくりして店頭に並べている。さらに惣菜から派生し、少しでも利益が出させる商品を増やそうと、手づくり弁当にも取り組み始める。酷暑の中で一番怖いのが食中毒だけに、温度管理には細心の注意を払い、個々のお客さんのニーズに可能な限り対応している。

徹底したコストダウンを図ることが最優先事項のため、製造から販売まで、夫婦で全てやらなくてはいけない。毎日スーパーへの納品に対応すると、時間と労力がかかることから、スーパーへの納品を辞めることを真剣に考えた。そんな薮内さんの胸の内を汲み取ってか、スーパー側から毎日でなく週2回でいいとの折衷案を提示され、スーパーへの納品を週2回に減らし、あとは店頭販売に注力している。とうふ店に限らず、職人技の世界は、一つの商品が出来上がるまでに費やす努力、コストに鑑みて、妥当な対価を価格として付けたくても付けられない環境にある。悪循環をいかに断ち切って、好循環に転換していくか、その起爆剤として10年余り前に始めた惣菜販売(1パック400円台)、弁当(1つ750円)販売の売上が、現在ではとうふ類の売上よりも遥かに大きなウエイトを占めるまでに伸びてきている。
そうした厳しい環境ではあるが、一筋の光明となってきているのが、日々美奈恵 さんが更新しているインスタグラム。毎日、作業の合間を縫って出来上がった惣菜、弁当の写真をアップしているだけではあるものの、これまで近隣に住む人たちが主な顧客だったが、最近はインスタグラムを見た若い人たちが、車に乗ってわざわざ買いに来てくれるようになり、そんな人たちが、自身のインスタグラムで薮内豆冨店の商品やお店を紹介してくれることで、少しずつではあるが、新しい顧客の広がりを体感し始めている。「映える商品は何もなく、写真をアップするので精一杯ですが、中には紹介して下さるお客さんもいて本当にありがたいです。」と美奈恵さんは感謝する。そう考えると、必ずしも映え狙いの商品はないものの、目に見えてインスタグラムの宣伝効果が出てきている。

惣菜や弁当を店頭で販売するようになってから、来店客から「ここはとうふ屋さんなんですか」と聞かれて面食らったと美奈恵さんは苦笑する。それぐらいに、惣菜と弁当のイメージが浸透してきている証左かもしれない。歯に衣着せずに話す奥さんと、それを優しい笑顔で受け止めるご主人。あたかも夫婦漫才を見ているかのような見事な掛け合いを、買い物がてら体感するのも一興かもしれない。天候に左右される商いだけに、荒天の時に足を運ぶと歓迎されること請け合い。とうふと揚げだけではなく、惣菜・弁当を始めたことで、少し利益が出るようになってきて、今後さらに品数の充実や売り方の工夫を重ね、インスタグラムの情報発信を充実させることで、新たな顧客を着実に開拓し、ご子息が継ぎたくなる新時代の薮内豆冨店に昇華していくことを願ってやまない。

薮内さんご夫妻
| 商 号 | 薮内豆冨店 |
|---|---|
| 代 表 | 薮内 隆司 |
| 住 所 | 金沢市千日町8番11号 |
| 電 話 | 076-241-2947 |